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「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」



―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―


   第5章「コンクリート護岸」(6/6)-第5節

第5節 「コンクリート護岸」と「砂防堰堤」がもたらした状況

「コンクリート護岸」がもたらす将来の不安
 既に記述しているように、コンクリートの建設物には耐用年数があります。厚みの少ない構造のコンクリート護岸では、その耐用年数は、50〜60年にも満たないのかも知れません。
 問題はその頃に発生します。耐用年数を経過して脆くなったコンクリート護岸は僅かな増水でも破壊される事でしょう。そうなれば破壊された場所に続く護岸も次々に破壊されます。岸辺は長い距離に亘って崩壊します。

 この問題は、全国各地の河川に間隙なく設置された数多くのコンクリート護岸で深刻な事態を引き起こすのではないでしょうか。護岸の破壊によって、堤防や岸辺を形成していた大量の土砂が崩壊し流下します。場所によっては堤防が破壊されて堤防外にまで水流が溢れることでしょう。それらは、大きな河川に限らず中小の河川も含む全ての河川で発生する可能性があります。
 コンクリート護岸以前でしたら、それらの場所の岸辺は、石や岩が陸地側の土砂を保護し、或いは木々や草々がその根を張る事によって守られている事が多くありました。それらの構造の多くは長い年月を経て形成されたものであり、将来に亘って継続して問題無く存在し続けることも可能だったはずの場所も多くありました。
 しかし、至る所に建設されたコンクリート護岸によって、石や岩は流下し或いは持ち出され、木々は伐採されました。コンクリートによって覆われた堤防の内部や岸辺の内側にあるのは水流に抵抗する事の出来ない土砂ばかりです。それらの土砂は、コンクリートの覆いが無くなれば簡単に破壊され侵食されることでしょう。

  何年かの後に、コンクリート護岸が次々と破壊される事態が日本全国いたる所で発生すると考えられます。問題は、そのことにあります。日本各地の至る所でそのような状況が発生した時、それに対応することが出来るのでしょうか。また、それぞれのコンクリート護岸の耐用年数に至る前にそれらを改修することが果たして可能でしょうか。コンクリート護岸では、耐久力が不足した特定の個所だけを改修するのではなく、長い距離に亘って全面的に改修する必要があるのです。
 誰がそれらを改修する工事を決定し施工して、だれがそれらの費用を負担するのでしょうか。また、住民の被害が発生したならば、その損害をだれが負担するのでしょう。
 これから数十年に亘り人口が減少し続ける事が確定している日本国の状況から考えれば、それらの全てに対応することは、ほとんど不可能であると言うしかありません。

「コンクリート護岸」と「砂防堰堤」がもたらした状況
 ここまで、上流や中流のコンクリート護岸によって発生している様々な状況について説明してきましたが、コンクリート護岸が生じさせていることは「その前や周囲の土砂を容易に流下させる」と言う単純なことに過ぎません。しかし、それが河川全体に及ぼす影響は甚だしいのです。

 まず、上流の「コンクリート護岸」の前とその周囲で、「自然の敷石」や「自然の石組」が形成されなくなりました。ですから、石や岩も小さな土砂も以前には無かったほど著しく流下するようになり、それに伴って、降雨時や増水時には急激な増水と急激な減水が生じるようになり、また、季節による渇水期には水流が細くなり、或いは無くなりました。
 大きな石や岩が本来あるべき場所よりもさらに流下し不規則に堆積し、砂や砂利などの小さな土砂も何時でも流下し続ける事が多いので、「淵」や「荒瀬」が減少し或いは無くなり、流れは砂や砂利で埋まり、深さや速さの変化が少ない「平瀬」や「ざら瀬」ばかりが多くなりました。  

 上流側の水流を集めて流れる中流域では、下流に向かうほど土砂の大きさが小さくなると言う自然の規則性以上に砂や砂利など小さな土砂の堆積が増え、土砂がこれまで以上に堆積して川床が上昇しています。
 そして、コンクリート護岸の前が流れの中央よりも深くなるので、流れは片側や両岸で流れることが増え、中州が形成されやすくなっています。これらに加えて降雨時の流下水量も急激に増大するので、中流では洪水が発生し易くなっています。
 さらに、以前でしたら雨が降った後でもしばらくすれば透明できれいな流れが回復したのですが、透明な流れに戻るのに時間が掛かるようになり、また、ほとんど透明に見える流れでも、川底では小さな土砂が常に流下し続ける状況も多く発生しています。  

 以上の問題は「コンクリート護岸」の問題だけでなく、「砂防堰堤」が生じさせている事柄でも多くが共通しています。これらの状況は、治水的困難の増大であり、同時に、河川やその周囲に生息する全ての生物への自然環境の悪化を意味しています。  

 残念な状況はそれだけではありません。上流の「砂防堰堤」も上流中流の「コンクリート護岸」も、それらが建設されるようになってから既に長い年月が経過しています。ですから、現在の上流や中流の光景が当たり前で自然な状況だと思っている人が多くいます。
 生まれて成長して現在までの間、人の手が加わらない上流中流の自然環境を経験したことが無い、或いは、それらの風景を見た事が無い人も珍しくありません。そのような状況は、一般の人々だけでなく、肝心の治水関係者や学者や工事担当者など、多くの皆さんにも広がっているようです。
 「砂防堰堤」が現実に生成している現象を正しく認識することも無く、「コンクリート護岸」の前から石や岩が失われ、中流域に以前は無かった中州が出来ている事を疑問に思う人もいません。それらの皆さんの考え方を変えない限り、状況は改善されないのかも知れません。

誤った河川工事によって上流や中流に生じている事柄
 河川のその時々の様相は変化し続ける状況の一時的な姿でしかありません。砂防堰堤やコンクリート護岸があり続ける限り、以前あった自然の土砂流下と堆積の規則性は失われ続けます。
 誤った工事方法によって新たに生じた状況があっても、河川はそれに応じた変化を伴いながら流れ続けます。その変化がたとえ人々に災害をもたらし困難を与えるものであったとしても、河川は、変化した状況に適応させた土砂の流下堆積と水流を実現させているのに過ぎないのです。

 近年、河川の中流域で過去に例が無いような大規模な増水や洪水が続発しています。しかし、それらの現象の発生具合は場所ごとに大いに異なっているようです。
 例えば、2004年(平成16年)10月の岐阜県「宮川」の場合では、過去に無かったほど大量の水がいっきに流域を流れ下りました。水害の後で、私は、宮川沿いを走る高山本線の不通期間が長く続いたことを印象的に思いました。災害が発生した区域の線路や橋桁は通常の水面よりも随分高い位置にあった事を覚えていたのです。ですから、それらの線路が被災したことは全くの驚きでした。余程の大規模な増水だったのでしょう。かつて、私はその流域で渓流釣りを楽しんだことが幾度もありました。河川沿いに走る各所の道路も車でよく走りました。それらの流域では小さな支流や沢であってもほとんどの場所にコンクリート護岸が設置され、砂防堰堤も至る所にありました。  
 「宮川」での未曾有の水量は全ての支流や細流での急激な増水が集中して流れ込んだことによって生じたと考えています。

 2015年(平成27年)9月の「鬼怒川」では、上流にある幾つかのダムが、それぞれのダムごとの調整も無く、下流の事を考えずに、いちどきに大量の放流を行いました。ですから、北側から堤防状に続く自然の尾根と考えられている、過去に一度も水流が及ぶ事の無かった箇所を水流が乗り越えて流れ出しました。
 当時、その周囲の写真や動画がWEB上に多く掲載されていました。それら水害直後の写真や動画の幾つかには、越流が発生した箇所の下流側に広がる茶色い流れの中央に点々として続く木々の梢が写っていました。それらの場所の河川敷の中央には、洪水でも隠すことが出来ないほどの高さにまで木々を成長させた中州の土砂堆積があり、それらが少し上流側の水流の流下を妨げていたのだと考えられます。

 2019年(令和1年)10月「千曲川」の場合では、流れの狭隘部の上流側に大量の土砂が堆積していたので、その場所から水流があふれ出たと言われています。それらの被災箇所に行ったことは無いのですが、それらの地域のずっと上流部には何度も渓流釣りに行ったことがあります。
 上流の「千曲川」では、本流も流れ込む支流もすべて同じ幅で両側に続くコンクリート護岸に覆われ、小規模な砂防堰堤も至る所にありました。上流区域では石や岩も多く残っていましたが、流れのほとんどは、コンクリート護岸を両側にした凹状の形状をしていました。「千曲川」でも、コンクリート護岸が無ければ流下するはずの無かった大量の土砂が、上流から流れ下って行ったことは間違いがありません。

 2020年(令和2年)7月「球磨川」の場合では、球磨川の流れが再び山間地を流れるようになる狭隘地の上流側の河川敷に、木々が茂った中州が存在していた事が、当時の動画でも明らかでした。おそらくずっと以前には、それらの場所の両岸にコンクリート護岸は無かったはずです。また、それ等の上流部にも木々が茂った中州が多くあり、住民から撤去の要望が出ていたのですが無視されていたと聞きます。コンクリート護岸以前には石や岩が多い両岸があり、流れの中央部が最も深い自然の流れがあったと考えられます。ですから、中州が形成された場所やその上流側の区域の浸水が最も激しかったのではないでしょうか。
 また、本流に流れ込む多くの支流には両岸共にコンクリートが設置されていましたから、極めて急激な増水が発生し人的被害が生じた事も地域住民の皆様によって報告されています。
 球磨川の氾濫の原因が、百年に一度と言われる豪雨にあった事は間違いがありません。しかし、その区域やさらに上流に多くの「砂防堰堤」があり、全ての岸辺が「コンクリート護岸」で囲われていなければ、あれほどの酷い氾濫が発生しなかったのではないでしょうか。

 日本中のほとんどの河川では、「自然の敷石」や「自然の石組」による治水的効果が失われ、急激な増水と急激な減水が生じています。そして、自然の規則性を外れた土砂の流下と堆積が発生しています。その状況は、日本国の全ての河川で年を追うごとに悪化しているのです。「宮川」「鬼怒川」「千曲川」「球磨川」の場合はその例の一つに過ぎません。それらと同様の事例は、全国各地で発生し増加し続けていると考えています。
 各地の洪水や水害の直接の原因が大雨にある事は間違いがありません。しかし、コンクリート護岸や砂防堰堤等間違えた河川工事が無ければ、洪水や水害が発生しなかった、或いは被害が少なかった可能性を考えずにはいられません。

 しかし、「砂防堰堤」と「コンクリート護岸」による残念な状況が全国に拡散していてもまだ希望はあります。
 既存の「砂防堰堤」の改良方法は、第4章「砂防堰堤」で記述しました。 また、「コンクリート護岸」による急激な増水と急激な減水を減らし、以前の自然な上流や中流の岸辺を復活する新たな護岸工事方法もあります。  
 その方法は、上流や中流で生じている自然の土砂流下と堆積の状況を全く模倣した方法で、とても安価で簡単な方法でもあるのです。しかも、既に建設された「コンクリート護岸」をそのまま残して僅かな工事を付加するだけで「コンクリート護岸」の欠点を補い、「自然の敷石」や「自然の石組」を形成させる事が出来ます。さらに、その方法は継続可能性が大きく、年数が経るほどに好ましい自然状態がより多く生じ、「コンクリート護岸」を用いなくても、堅固な護岸を成立させ、「コンクリート護岸」の必要性も消滅させると考えられます。
 荒廃した河川を昔の光景に戻すには長い年月が必要ですが、新たな方法による工事を始めれば、事態は少しづつですが確実に好転し続けることが考えられます。
 その工事方法については、同じWEB上の掲載 「河川上流中流と海岸を回復させるための新たな工事方法」で詳しく説明しています。

                  

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