「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第5章「コンクリート護岸」(2/6)-第2節
第2節 「コンクリート護岸」の不都合
「コンクリート護岸」の岸辺に生じる現象
「コンクリート護岸」は、上流で見る事が多い、流れに平行する自然の岸壁と同じ作用を持っています。「コンクリート護岸」は、岸辺にある自然の岸壁と同様に岸辺の大きな岸壁であると考えられ、ほとんどの場合で、自然の岸壁よりも長大でもあるのです。
上流や中流の岸辺にある流れに平行した「岸壁」は、その前面の流れが深く、その底は砂や小砂利である事が普通です。
上流や中流の「コンクリート護岸」でも岸壁の場合と同じく、前面の底は深く流れて砂や小砂利である事が普通です。これは、「コンクリート護岸」が、その設置以前にあった前面の石や岩など多くの土砂を容易に流下させてしまったから生じている現象です。その現象が酷くなれば「洗掘」と呼ばれる事が多く、これは、淵が形成される理由の一つと同じです。でも、「コンクリート護岸」の場合では、流下方向以外への乱れた流れが生じる事はありませんから、「淵」と呼ばれる事はありません。
「コンクリート護岸」の前では、少し大きな石や岩があったとしても、あるいは、そのような大きさの石や岩が流れて来たとしても、それらは少し大きな増水の機会に下流へと流されていきます。「コンクリート護岸」の前の流れが深くなるのは、増水の際にそれらの場所の水流が強くなり、土砂がより強く流されるからで、その前に何時までも残るのは極端に大きな石や岩に限られています。もちろん、「コンクリート護岸」の前の流れの底にある小さな土砂は、増水の度に入れ替わっています。
多くの土砂が流下すると言っても、その現象が常に発生しているのではありません。コンクリート護岸の前であっても、大きな石や岩であるほど流下し難い事に変わりはありませんから、コンクリート護岸の岸辺から大きな石や岩が流下して行くのは、特別規模が大きな増水や規模の大きな増水の機会に限られ、その場所にまで水流が生じた時に限られます。
ですから、それまで岸辺に石や岩などの土砂が堆積していた場所にコンクリート護岸を建設した場合であれば、護岸の建設後ある程度の年月の経過の後にその現象が発生するのが普通です。
コンクリート護岸が無く石や岩が多い自然状態の岸辺に、規模の大きな増水が及んだとしても、元の水量に戻れば、石や岩などの土砂が堆積した以前と同様の岸辺が残されていることが多く見られます。それに対して、コンクリート護岸の岸辺では、一旦、増水によって水流が直接護岸に及び、岸辺から大きな石や岩が流下してしまえば、それらの場所に元あった大きさの石や岩やその他の土砂が残ることはありません。
コンクリート護岸の前で発生している現象は、岸辺に設置された「石垣」の場合も同じです。石垣も流れの底から上部に積み上げられていますから、上流の岸壁と同じ現象が生じています。でも、石垣の場合では、コンクリート護岸ほど長い距離を建設されることは多くありませんから、上述の現象に気が付くことが少ないかも知れません。
コンクリート護岸の前の流れで発生することは、砂防堰堤の下流側で発生する現象と似ているところがあります。コンクリート護岸の前に、大きな石や岩がまだ残されているうちには問題に気付く事も少ないのです。
しかし、大きな石や岩が流れ去っていけば、問題は急速に大きくなります。また、護岸の建設時には、河川敷にあった石や岩を河川の外に持ち出すことも多いのです。以前は普通の増水の際にも残っていた石や岩が、コンクリート護岸によって失われれば、「自然の敷石」も「自然の石組」も形成されなくなります。「自然の敷石」も「自然の石組」も、通常の流れでは容易に流下しない大きさの石や岩を基にして形成されていますから、それらが無くなれば、それら以外の石や岩も小さな土砂も流下して行き、護岸の前の川底は次第に侵食され、その現象は流れの中央に向かって次第に広がっていきます。
長く続く「コンクリート護岸」の不都合
上流や中流の「コンクリート護岸」が周囲の石や岩を下流に押し流す現象は、コンクリート護岸が流れに平行して連続して続いている限り避ける事が出来ません。ですから、長く続くのが普通なコンクリート護岸の場合では自然の岸壁よりもその現象をより強化していると言えます。
コンクリート護岸は、直線的に或いは緩やかな曲線を描いて長い距離に亘って続いています。自然の岸壁が、それ程に長い距離を途切れなく続いている事は多くありません。上流の岸壁の場合では、特定の区間だけだったり、途切れ途切れであったりするのが普通です。
地図の上では直線的に表される河川であっても、自然のままの上流や中流では、そこを流れる水流は真っ直ぐには流れてはいません。 自然の流れでは、岩盤や岸壁や大きな石や岩により水流が曲がり変化していることが多くあり、また、流れや河川敷の広さも様々に変化しています。それらの場所で乱れた流れが生じる所には淵が出来たりすることもあります。
しかし、コンクリート護岸が出来てからは、流れはほとんど真っ直ぐか、穏やかな曲線ばかりです。大きな屈曲部があっても、コンクリート護岸は曲がり方が急激では無く、自然の渓流では岸辺に多くあったはずの大小の屈曲や凹凸も全く無くしていますから、水流全体の変化も少なくなっています。
屈曲部で流れが滞る事も無く、ただ速く流れていくだけです。ここでは多少の深みが出来たとしても、流下方向以外への乱れた流れが形成される事はありませんから、淵が形成されて流れが穏やかになることはありません。コンクリート護岸の岸辺に淵が形成されるのは、極端に巨大な岩がその場に残り続ける場合に限ります。そして、そのような例を見るのは稀でしかありません。
コンクリート護岸の不都合は他にもあります。コンクリート護岸はそれほど分厚い構造を持っている訳ではありません。橋脚やダムなどに比べて僅かな厚みのコンクリートが土砂の表面を連続して覆っているのに過ぎないと言えます。ですから、増水があった時などに何らかの事情によってその一部が破壊されれば、その破壊は、その周囲に亘って広がるのが普通です。護岸の構造が厚みの少ないコンクリートの連続で形成されている以上、この破壊は避けようがありません。
全てのコンクリート護岸がそのような状態であるとは言えませんが、多くのコンクリート護岸はそのような形状で建設されています。
それらの破壊の有様を幾度も目にしている訳ではありません。しかし、同じ場所のコンクリート護岸が増水の度に作り替えられていることは何度か目にしたことがあります。
コンクリートの耐用年数の事は、「砂防堰堤」の項目で記述しています。コンクリート護岸の場合でも同じことを考える必要があります。耐用年数が過ぎたコンクリート護岸の場合であれば、上記のような護岸の破壊の被害はより大きくなることが予想出来ます。
言い換えると、コンクリート護岸はその耐用年数に至れば全体を作り替える必要があるということです。仮に、特定の箇所を補修したとしても、その近くが破壊されれば新たに補修した個所もまた破壊されてしまう可能性が大きいと考えられるのです。
建設された堤防の岸辺だけでなく、長い期間に亘り自然状態が保たれていた自然堤防や山裾の岸辺まで、コンクリート護岸に変えてしまったばかりに、年数の経過ごとに度々作り変えなければなりません。
私の住んでいる静岡市の近郊でも、ここ数十年のうちに作り替えられたコンクリート護岸は何箇所もあります。
両岸共に「コンクリート護岸」を建設した場合の不都合
両岸共にコンクリート護岸を建設した場合では川幅はほとんど一定になってしまいます。 川幅を一定にして建設されるのもコンクリート護岸の特徴です。
自然の上流や中流では川幅が一定であり続けることは多くありません。 自然の上流や中流の河川敷では、水の流れは、右にも左にも常にその向きを変化させて流れ下り、流心が移動し或いは分流し合流し水流の幅も不規則に変化しているのが普通です。石や岩や岩盤や淵や瀬によって、水の流れは狭くなり広がり、速さも速くなり遅くなり、水深も浅くなり深くなっていました。水流は常に変化して流れ下っていました。
増水があると、水流の変化はさらに大きくなりました。平水時には河原だったところが流れになったり、離れた場所の河川敷に分流が出来たりもします。また、河原の脇の荒地が水溜りに変化したりする事もあります。さらに、増水の後には流れの位置が全く変わってしまうこともあります。
しかし、両岸にコンクリート護岸が出来てしまうと、これらの事は無くなります。川の水の流れる場所は常に一定で、流れの幅がコンクリート護岸の幅以上に広がることはありません。岸辺からも水流の中からも大きな石や岩が失われ、淵や荒瀬が無くなり、流れの速さや深さが変化することも少なくなります。仮に大きな増水があったとしても流れる場所は一定で、ただ水位が上昇し流速が速くなるだけです。
コンクリート護岸は、上流の自然の岸壁の場合と同じ作用を発生させています。例えば、河川の上流には、両岸に自然の岸壁が多くある水流もあります。そのような流れでは、鉄砲水や急激な増水が発生し易いので遭難が度々発生していることを、釣り人や登山者の多くが知っています。
全くの自然状態であるのに、それらの水流では「自然の敷石」も「自然の石組」も形成されることが少なく、石や岩も容易に流下してしまいますから、流れの変化も多くなく、瀬ばかりが続いたり、巨岩の淵が多かったりしています。
コンクリート護岸は岸の傾斜がほぼ一定です。自然の上流や中流では、岸辺から陸地への傾斜の有様も様々でした。山裾まで穏やかに続く河川敷もあれば、水流の脇から直ぐに急激な斜面が生じて山腹に続いている場所もあれば、それが土砂崩れになっている場所もあり、河川敷に段丘状の土砂堆積がある場所もありました。
そのような場所以外でも、石のある岸辺の後ろに砂地があったり、水の流れの脇に緩やかな斜面の林があったりしました。これらの場所は増水や大きな増水があったときの水流を緩やかにしていました。
コンクリート護岸の川幅と岸の傾斜が一定である事の影響は、増水した時の水流と陸地との境界線を想像してみると分かり易いと思います。増水があった時、自然の上流や中流では、河川敷が広がった場所の岸辺は不規則に水際を後退させていく事でしょう。それによって、増水があった時でも、流下して行く水流はその分だけ穏やかなものになっていました。
しかしコンクリート護岸が出来てからは、 岸辺が水の流れを留まらせて穏やかにする事はありません。水量の増加は、そのまま水位の上昇になります。コンクリート護岸は川幅が一定でその傾斜も一定でしかも固められていますから、逆に水の流れを早くしています。したがって、少しの雨でも急激な増水を引き起こす原因の一つとなっています。
「渓流で見た不思議な光景」の説明
この章の最初に記述した、「渓流で見た不思議な光景」は、コンクリート護岸の建設を原因とする現象だったと考えられます。
それら大きな岩が集合した渓流では、両岸共にコンクリ―ト護岸が建設されていました。コンクリート護岸の建設時期は、大きな岩が集合する以前であったことは間違いありませんが、それは数年前のことだったのかもしれませんし、不思議な光景が生じる前年だったのかもしれません。
私がその奇妙な光景を見つける少し前に、コンクリート護岸の前の大きな岩を流下させるほどの増水があったのです。同じような大きさの岩が揃ったのは、第1章第2節の「似かよった大きさの石や岩が集まっています」で記述した理由と同じだと考えられます。
以前はほとんど流下移動する事の無かった大きな岩や特別大きな岩が、コンクリート護岸の建設後に発生した規模の大きな増水によって移動流下しました。そして、その時には同じ水流の他の場所の大きな岩でも同じ事が発生していたのです。ですから、同じような大きさの岩が幾つも集積したのです。
その流れで一番大きいほどの岩を流下させる位の増水ですから、規模が大きな増水であった事は間違がありません。でも、その増水の規模が特別規模が大きな増水であったとは限りません。
それらの現象が見られた地方で特別規模が大きな降雨や増水があったとのニュースは知りませんでした。また、特別に規模が大きな増水の後で良く目にする幾つかの現象も生じてはいませんでした。
それは、水流の脇に高く堆積した大量の土砂や、至る所に散乱している大小の流木や、時として発生している川岸やその上部の崩壊などのことです。特別に規模が大きな増水の後であったならば、それらの光景が出現していることが多くあり、それらの光景が解消されるまでにはある程度の月日が必要なはずです。
以上の事から考えられる事は、コンクリート護岸の建設以前なら流下することの無かった大きさの岩が、それほど規模が大きくはない増水の機会に流下してしまったと言うことです。
それでは、何故、それらの岩が特定の場所に集合していたのでしょうか。現在ではコンクリート護岸は中流から上流までほとんど途切れることなく連続していることが多いのです。でも、当時はその連続性は限られていました。
コンクリート護岸の岸辺から大きな岩が流下しても、コンクリート護岸が無い場所や河川敷が広い場所に至れば、それらの岩も停滞しその場所にとどまることが出来たのです。
後から気が付いた事ですが、大きな岩が集中して堆積した場所に川幅を同じくするコンクリート護岸はありませんでした。人家に近い渓流の光景であったことは、コンクリート護岸の工事が山奥から始まったのでは無く、人家に近い渓流から始まったことによると考えられます。人家に近い小さな渓流では、コンクリート護岸を両岸共に短期間のうちに建設してしまう事が多いのではないでしょうか。これらの事情によって、大きな岩も容易に流下したのです。
しかし、大きな岩が集合する現象は渓流の大きな変化の始まりに過ぎないのかも知れません。