「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第5章「コンクリート護岸」(3/6)-第3節の(1/2)
第3節「コンクリート護岸」による不都合の様々な状況
小規模な流れに生じる不都合
水量が少なく人家にも近い上流や中流の小規模な流れでは、ほとんどの場合で両岸ともにコンクリート護岸が建設されています。もともと水量が少なく川幅が狭い水流に両岸共にコンクリート護岸が建設されれば、それによる不都合は早々と大きなものになります。
コンクリート護岸はその前の石や岩を次第に流下させます。増水時には大きな石や岩も流下して行きます。元々の水流の幅が狭い上流や中流の流れでは、その影響が流れの中央付近にまで直ちに及び、水流の全体から石や岩が流下して行きます。また、工事の際に石や岩が河川の外に持ち出されることも多いのです。
コンクリート護岸の岸辺では水流が強く流れ、河川敷の中央部以上に両岸の岸辺が深くなります。河川の横断面のU字型の構造は失われ、川岸のコンクリート護岸を両側の壁にして川底を平坦にした凹字型の川底が形成されます。
コンクリート護岸の流れから石や岩が流下して行っても、上流側から石や岩が流下して来ますから、コンクリート護岸の流れから石や岩がすぐに無くなってしまう事はありません。
しかし、コンクリート護岸が周囲の石や岩を流下させてしまう現象は、容易に石や岩を流下させてしまう現象です。コンクリート護岸の上流側から大きな石や岩が流下して来たとしても、コンクリート護岸の岸辺はそれらの大きな石や岩もまた容易に流下させてしまいます。
コンクリート護岸の建設以前に「自然の敷石」や「自然の石組」を形成していた大きさの石や岩が流下して行けば、その後に、以前あったような「自然の敷石」や「自然の石組」が形成されることは困難になります。なぜなら、以前の「自然の敷石」や「自然の石組」は自然の水流の中で容易に流下しない大きさの石や岩によって形成されていたのですから。
つまり、コンクリート護岸の建設以後では、いくら多くの石や岩が流下して来て「自然の敷石」や「自然の石組」を形成したとしても、増水によってそれらは造作なく破壊されて次々に流下して行くばかりです。
上流側に土砂崩れや土石流が発生して大量の大きな石や岩を流下させて来た場合でも、その影響は一時的なものに過ぎません。幾度か規模の大きな増水を経た後では、やはり、コンクリート護岸の岸辺や川底から石や岩が失われていきます。
これらの状況は、年月を経る程に深刻化していきます。コンクリート護岸の建設以後、「自然の敷石」や「自然の石組」は次第に形成されなくなり、 水流にかつてあった「淵」や「荒瀬」は姿を消して、「平瀬」や「ザラ瀬」ばかりで水流の速さや深さにも変化の無い単調な流ればかりになります。やがて、コンクリート護岸の流れの底にある石や岩は、小規模な増水の度に流下移動し続ける小さな大きさのものばかりになります。
そのような状況がさらに進行して、川底の土砂が砂や土ばかりになる事もあります。場所によっては、水のきれいな渓流や清流だった流れがドブ川に変わってしまう事もあるようです。
これらの状況の変遷過程は、それぞれの流れによって異なります。石や岩やその他の土砂の流下状況はそれぞれの水流によって異なっているのです。上流側から石や岩が流下して来る機会が多い上流であるほど、増水の機会が少ない水流であるほど、川幅が広い水流であるほど上記の変遷は緩やかであると言えます。
しかし、それぞれの変遷状況が異なっていても、コンクリート護岸がある全ての河川で、以前の自然な環境では生じることが無かった、不必要な土砂流下状況が発生している事は間違いがありません。
もちろん、これらの状況には、それに対応した様々な工事が行われています。
コンクリート護岸の底が侵食されますから、護岸の底にコンクリートを敷き詰めたり、コンクリートブロックを多く設置させたりします。洗掘された岸辺に基礎を深くしたコンクリート護岸を建設し直す事も多くあります。また、高さの低い小規模な堰堤を所々に設置する事も普通に見られます。それでも事態が改善されることは無く、かえって状況を悪化させるばかりです。
これらの状況は、山間地にある水流の場合だけに限りません。人口の多い市街地や農地にある中流の流れでも同様の光景を見ることが多くあります。おそらく、それは、日本中の上流中流の至る所で普通に生じている光景だと考えられます。
また、河川と呼ばれるほどではない小さな細流や小さな沢や平地の流れにコンクリート護岸を施すことがあり、流れの全てをコンクリートで覆ってしまう事もあり、それらに多くの段差を設置する事もあります。また、U字溝を設置する事もあります。
「コンクリート護岸」によって変わった生活
上流や中流の小規模な流れにコンクリート護岸が建設されたことにより、地域住民の生活は変わりました。それまでは生活の一部であった水流との関わり合いの多くが失われました。
コンクリート護岸の傾斜は、多くの場合で穏やかではありません。ほとんどの場合で、その傾斜から転落すれば、大人であっても這い上がるのは困難で、子供や年寄りでは這い上がることは不可能です。増水時などに誰かが落ちれば助かる見込みはありません。コンクリート護岸の上端が道路に接している場所にはガードレールが設置されていることが多いのですが、そうではない場合も多くあります。
コンクリート護岸建設以前の自然の流れであった時でも、それらの流れには危険な場所があったに違いありません。しかし、危険な場所は限られていたのではないでしょうか。何とか淵は危ないから近づいてはいけないとか、何とかの崖には近づくなとか言われていたことでしょう。それに、以前ならば、水流は、斜面や小さな崖や雑木林や竹藪などに囲まれていることが多く、水辺に近づくためのふみ跡以外の場所から流れの場所に至るのは困難だったのです。
今では、地域のほとんどの場所でコンクリート護岸の上端に簡単に近寄る事が出来ます。でも、そこから水際へと降りる事は出来ないのです。それらの場所にやって来た釣り人でも、何処か安全な降り口を探すのに苦労するのが普通です。
著者の知る限りでは、上流や中流のコンクリート護岸に、水流への降り口を設置している例は極めて少ないのです。鉄筋が幾つか梯子状に埋め込まれた場所は少なく、階段が設置された場所を見るのはさらに稀です。
このような状況では、住民の生活から河川との関わりはほとんど排除されてしまいます。地域の特別な伝統行事の機会でもなければ、普段の生活でそれらコンクリート護岸に囲まれた水流に近寄る事はありません。
伝統的な行事などの際に、何らかの品物を水流に流すことは各地で続けられているのではないでしょうか。昔でしたら、水辺に立ってそれらを見送ったことでしょう。今では橋の上や護岸の上から投げ込むのが普通なのかもしれません。
子供たちが大騒ぎをして水流で遊ぶ光景を見る事も無くなりました。住民が釣りをしたり、魚やカニなどを捕まえる機会も減りました。それらの生物の多くも居なくなってしまいました。
また、ずっと以前でしたら、それらの流れで手足や農機具を洗い、何らかの洗い物をすることもあったと思います。今では、コンクリート護岸の岸辺が住民のゴミ捨て場になっている場所さえあるのです。
コンクリート護岸の建設以前には、上流や中流のそれらの流れは住民の生活の一部としてあり、それらは清らかな場所だったのではないでしょうか。でも、コンクリート護岸によって、住民の生活と水流は全く分断されてしまいました。
河川にあった石や岩を護岸に使用している場合
護岸の建設以前に河川や河川敷にあった石や岩を使用して、護岸を建設している例が多くあります。
それらの場所では、人の頭くらいの大きさの石を斜面状に積み上げ、石と石の間をコンクリートで固めています。人の頭の大きさの石は、一人の人間が容易に動かす事の出来る限度の大きであるようで、河川の近くに昔からある石垣では、その大きさの石を見ることが多いのです。それは全く大変な作業だったのではないでしょうか。それらのコンクリート護岸や石垣を実際に建設した皆さんの労力には頭が下がる思いがします。
現場に元からあった石や岩を利用して護岸を建設するのは、経済的で合理的な考え方であると考えられているのでしょう。
しかし、そのようなコンクリート護岸も、河川敷に残った石や岩の流下を早めるだけのものでしかないのです。大きな石や岩よりも先に人の頭の大きさの石が長い区間に亘って失われるのです。ひとたび規模の大きな増水が発生すれば、たちまちにして小さな石や岩だけの水流になってしまいます。その現象は、石を積み上げてコンクリートで固めた護岸が長く続くほど大きな規模で発生します。そして、小さな石や岩だけになった水流や河川敷に大きな石や岩が再び戻ることはありません。
それらの大規模な例は、甲府盆地以南の富士川の何か所かでも見ることができます。富士川は規模が大きく水量も多い河川ですから、建設される護岸も規模が大きなものばかりです。それら長大なコンクリート護岸が設置された場所では、とても長く続く「ざら瀬」や広大な「渕尻」や、ほとんど下流と同じ様相の水流を見ることができます。それらの場所は、私の知る限り、長い期間に亘ってその様相を変えることがありません。
上流や中流の特定の場所の河川敷から石や岩を大量に持ち出した場合では、コンクリート護岸の建設が無くても、以前の渓相が全く失われて「平瀬」や「ざら瀬」に変化してしまうことがあります。
大井川の上流には、ダム建設の際に砂利の採取場であった場所が、まったくの砂や砂利だけの河川敷に変わってしまった場所があります。
ダムの建設以後、既に50年以上の年月が経過していますが、渓相の回復はほとんど進んでいません。その場所の上流側にも下流側にも、普通の「荒瀬」や「平瀬」が続いている事を考えると、それらの場所では、増水時におおきめな石や岩が流下して来てもそれらをその場に留めることが出来ないようです。
コンクリート構造物が敷き詰められた上流の小規模な流れ
コンクリート護岸の建設によって河床の侵食が酷くなり、川底がほとんどコンクリートの構造物で敷き詰められてしまった場所があります。
大きなコンクリートブロックを設置しても、河岸や河床の侵食はとどまらず、いつの間にか土砂の多くが流れ去り、川底のほとんどがそれらのコンクリートの構造で覆われてしまったのです。このような状況は、コンクリート護岸の上流側に砂防堰堤がある場所とか、流れの傾斜が大きい場所で発生していることが多いのです。
第4章第2節の「砂防堰堤の下流側で発生する不都合」で記述したように、上流側の砂防堰堤から大きな石や岩が流下して来なくなれば、「自然の敷石」や「自然の石組」の形成は困難になりますから、砂防堰堤の下流側では川底が侵食され易くなります。
ですから、砂防堰堤の下流側にコンクリート護岸を建設すれば、火に油を注ぐような結果が生じるのは当然のことです。コンクリート護岸を建設した流れからたちまちにして石や岩が失われ、激しい川底の侵食が生じます。これらの事情は、砂防堰堤とコンクリート護岸の建設の順序が逆になったとしても同じ事です。
これらの事態を避けるために、砂防堰堤を連続して幾つも建設する事もありますが、かえって治水困難な場所を拡大して状況の悪化を招くだけです。
河川の流れは上流に至るほど大きな傾斜になるのが普通ですが、その傾斜は全く均一に変化して上流に至っているのではありません。最上流に至る流れの途中にはその上流側や下流側と比べて急な流れもあれば、穏やかな流れもあるのが普通です。
上流や中流にある急な流れの場所は、その上流側や下流側にも無いような大きさの石や岩が多くあり、それらが幾つもの段差を作ったり重なり合ったりして荒瀬になっていることが多いのです。それらの大きな石や岩は水流によっても容易に流下移動しないから、大きな傾斜を維持しています。傾斜が大きい場所にあるのが小さな石や岩ばかりであったならば、それらの石や岩は造作なく流下してしまい、水流は川底を侵食していくことでしょう。ですから、流れの傾斜が大きい場所にコンクリート護岸を建設すれば、その影響は著しいものになると言えます。
周囲より流れが急な場所にコンクリート護岸を建設して、その場所から石や岩が流下し始めれば、その結果は明らかです。たちまちにして、川底の侵食が始まります。以前あった石や岩に代わる大きな石や岩が流下して来る可能性は多くありませんから、河床やその地表面が急激に侵食されます。いくらコンクリートブロックを設置しても、川底の侵食は治まりません。