「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第6章 貯水式ダムの問題(4/4)-第4節
第4節 貯水式ダムの間違い
山岳地帯に貯水式ダムを建設することは間違いです。土砂流下と堆積の観点から見て、貯水式ダムの間違いは記述した幾つかの事柄からも理解して頂けると思います。その間違いは、技術的視点だけでなく経済的視点も考慮した場合で、より明確に説明できると思います。以下に、貯水式ダムを区分けしてそれを考察してみます。
治水を目的とするダムの場合
貯水式ダムの貯水池に土砂が堆積することが不可避であることは既に、記述した通りです。しかも、治水効果を大きく望むほどダムを大きくする必要がある事、堆積土砂量は建設地が上流に至るほど増大するのが必然である事、また、治水効果を維持するためには堆積土砂の排出がどうしても必要であることも記述した通りです。
しかし、多くのダムの場合で、貯水池に堆積した土砂の排出はほとんど行われていません。また、幾つかの排砂方法や排出方法も効果を上げているとは言えない状況であり、さらに、ダムの建設によって上流側からの土砂の流下が無くなったために、多くの河川のダム下流側で川床の低下が生じて、海岸では海岸が浸食されています。
さらに付け加えると。既に幾つものダムが堆積土砂に埋まっているにも拘わらず、それらに対する対策を何ら手立てすることなくそれらは放置されたままです。
このような状況であるのにも拘わらず、各地の河川で、治水を目的とした新たなダムを建設する予定があり、さらに、水害が発生するたびに新たなダムの建設が声高に叫ばれています。全く無責任極まりない状況と言うしかありません。
建設促進を主張する皆さんは、治水を目的に貯水式ダムを建設することが合理的であると言い張りますが、それらの議論には、堆積土砂の解決方法や川床の低下問題や海岸浸食の問題や、ダム撤去について言及することはありません。当然、それらの費用は、全く無視されていますから、主張する見積もりに記述されることはありません。もちろん、それらの主張は全くの欺瞞であり、国民を無視して国土を崩壊させる税金の無駄遣いでしかありません。それらのダムは、現在生きている政治家や官僚や企業家や学者や技術者などが現時点での個人的利益を得るための事業に過ぎません。これから未来を生きる若者やその子孫の将来を困難なものにするだけです。
発電や利水を目的とするダムの場合
発電や利水を目的とするダムの場合であっても、貯水池に土砂が堆積すればダムの機能に不都合が生じることは治水用のダムの場合と同じです。でも、治水用のダムの場合と異なる事があります。
発電用や利水用のダムの場合では、経済性の問題もよくよく考える必要があります。治水用のダムの場合では、その効果は広く公共に関わる事柄であるので国や地方がその費用を負担することが多いのですが、発電用や利水用のダムの場合では、そのダムに公共性があることは多くの人が認めるにしても、その建設費用や維持費用は、その多くを企業や地方自治体や地方の企業体が負担していると思います。
つまり、企業であれば発電によって利益を上げる必要があります。地方自治体や地方による企業体の場合であっても、大きな利益を上げる必要はないまでも、赤字は避けなければなりません。発電用や利水用のダムの問題はここにあると考えます。これらのダムの場合でも、ダムが抱えている将来の問題が議論される事はありません。
穴あきダムを考える
治水に貯水式ダムが適さないことは記述した通りですが、全てのダムが治水の役に立たないと考えている訳ではありません。一般的に「穴あきダム」と呼ばれているダムがあります。穴あきダムは、ダムの下部に水流の排出口を設置して、流下してくる水流をその排水口から流す構造があるダムを指しています。
現在でも数は少ないものの「穴あきダム」が建設されていますが、書籍や雑誌やWEB上で見る限り、それらが、治水に効果的であり、経済的に合理性があるとは思えません。私が知る限りでは、それらのダムは余りに巨大過ぎます。また、穴の大きさが小さ過ぎるだけでなく、その位置もその形も適切さを外していると思えてなりません。
私が考える「穴あきダム」は、小規模な増水や普通の増水や規模の大きな増水の時に水流と土砂の流下を妨げることはありません。特別規模が大きな増水の時に少しだけ作動するダムであり、それよりも規模が大きな増水の時に限って確かに作動する堰堤であることを考えています。ですから、排水用の穴は堰堤の最下部にあり、その形状も通常の水流や規模が大きな増水の際でも水流と土砂の流下を妨げる形であってはならないことになります。
なぜ、普通の増水や規模の大きな増水の際に妨げとはならない事を要求するのでしょうか。河川では、普通の増水も規模の大きな増水も特別規模が大きな増水も自然の摂理であり、それらは河川とそれを巡る全ての自然環境にどうしても必要な出来事でもあるのです。それらがある事によって大小様々な大きさの石や岩や土砂が上流から中流へ向けて流下しているから、土砂の流下と堆積と水流のつり合いが保たれているのです。
中小の増水時でも貯水される「穴あきダム」を建設した場合では、それらの増水時に上流側から流下して来た土砂が貯水池に堆積することになります。水流が滞る場所の上流側に土砂堆積が生じるのは、河川中流域での狭隘地や、「砂防堰堤」に土砂が堆積する過程と同じです。
したがって、私の考える穴あきダムは、数年や数十年に一度発生する特別規模の大きな増水時に数時間から数日間だけ流水を留めていればよいのであり、貯水式ダムのような巨大さは全く必要としません。もともと、上流の水量は、支流を集めて流れる中流に比べるとずっと少ないのです。
私が考えるそれらは、ダムと言うより上流にある遊水地です。当然、特別規模が大きな増水時であっても人による操作を全く必要としない構造である事を想定しています。そう考えると、上流には、貯水式ダムの場合より多くの建設候補地が考えられるはずです。
もちろんその建設費用は貯水式ダムよりずっと少なくて済みますし、管理維持費用も僅かなものです。そして、下流側や海岸に与える影響もほとんど発生しない事も予想されます。
ダムの所有者と管理者の責任
過去の貯水式ダムの建設時において、堆積土砂の排出問題や下流側の川床の低下問題や海岸浸食の問題や、ダム撤去の問題について議論をしたり、見積りをしたことがあったでしょうか。
おそらく、それは無かったことでしょう。もちろん、ずっと以前では多くのダムの場合で、そんな議論をする前に差し当たっての電力不足を解決する必要があったのです。工業用水や農業用水や水道用水の場合でも、問題の解決の必要が差し迫っていた事でしょう。それに、技術者の多くはそれらの問題に触れることを避けていた可能性もあります。
確かにそのような状況が過去にあったとしても、今後、それらのダムで必要となる費用は、ダムを所有し管理運営する企業や地方自治体が負担するしかありません。
この問題は、既に緊急の問題が生じている「雨畑ダム」や「黒部川のダム」の場合だけではありません。この章の最初に記述した発電用ダムの場合や、大量の土砂が堆積したままで何らの措置も行われていないダムの場合でも同様です。
電力を製造して販売している企業にとって、これらの問題は企業の存続にかかわる問題でもあると思います。それらの企業は電力の製造に要する費用をめぐって世界中の企業と競っているのです。電力の製造に過大な費用を必要とするようであれば、その企業の存続は困難になります。
既に、太陽光発電や風力発電の方が、火力発電よりも電力の製造費用が安くなっているとの説もあります。過去の発電用ダムの建設時には、経済的に優れた発電方法だと判断されていたとしても、技術革新や世界の情勢の変化によって、今後、貯水式ダムの維持がいつまでも可能だとは言い切れません。
また、地方自治体や企業体の場合でも問題は切実です。これから数十年の間以上、日本の人口が減少し続ける事は確定しています。以前は問題なく販売できていた、工業用水や農業用水や水道用水が不要になりつつある地方が増えています。近年建設された大規模なダムでは、予定していた用水の販売先が無くなってしまったので、困惑しているとの話もあります。いつまでも赤字を垂れ流し続けたり、借金を増大化させる事は出来ません。これらは、地方の首長や企業体の首脳が早急に決断しなければならない問題になる事でしょう。
上流も中流も急な流れが多い日本の貯水式ダムは、貯水式ダムの基本的性質から生じている幾つかの課題を解決出来ずにいます。日本の貯水式ダムは既に歴史的役割を終えたのではないでしょうか。特に、治水を目的にしたダムの建設は、現在では既得権益者のための利権としての意味しかないと、私は考えています。それらは既得権益者が自らの目先の利益を追求するために、未来に生きる人々に負担を求めるものでしかありません。
技術的問題や経済的問題を合理的に考えれば、新たな貯水式ダムの建設は間違いであり、近年建設されたそれらも既に時代遅れの建造物でしかないでしょう。
小規模発電および新たな取水方法
貯水式ダムの現在と将来の状況が決して容易ではない事を、発電会社も理解しているようです。最近、大規模な貯水式ダムではなく、小規模な水力発電を推進させている様子が見受けられます。上記した様々な事柄を考えればそれは当然だとも言えるのですが、ここにも問題があります。
先に少し記述しましたが、それらの小規模発電でも河川水を上流で取り入れる必要があります。もちろん、水流がある場所であれば、ほとんどの場所で、小規模発電が可能ではあると考えられますが、水流の取り入れ口と発電所の間に高度差があるほど電力の出力量が大きくなるので、効率的な発電が可能になることも自明のことです。
ですから、それらの取水口が上流にあり、同時に小規模な堰堤の形状をしている事が多いようです。それらの取水堰堤は、上流側に小さな土砂を多く堆積させて、下流側への大きな石や岩の流下を妨げる「砂防堰堤」と同じ様相を見せている事が多いのです。もちろん、それらの取水堰堤も魚類やその他の生物の移動も妨げています。
私の知る限り、ほとんどの取水堰堤は「砂防堰堤」とほぼ同じ形式です。これは、「砂防堰堤」の弊害を理解して、その改革を行おうとしている現場の皆さんの努力にも水を浴びせている事です。
それらの取水堰堤を「砂防堰堤」と同じにしない工事方法があります。しかも、その方法による取水堰堤は江戸時代から改修されながら、現在でも利用されている取水施設でもあるのです。
福岡県朝倉市の筑後川に山田堰と呼ばれる農業用の取水堰があります。その用水は、堀川用水と呼ばれ三連水車でも有名です。その取水堰は近年、現在の技術によって改修されましたが、解説によると、山田堰は、「斜石張コンクリート造」形式の日本唯一の取水堰だとあります。
一般的な堰は流れに対して直角に衝立を立てた形をしていますが、この堰は流れに対して斜めに設置されて、しかも、上流側から下流側の通常の水流に向かって高さが次第に低くなるコンクリート補強の石積みで形成されています。その石積は下流側に向けて全体で176mもの長さの構造を持ち、上流側と下流側との全体の高低差は3〜4m位だと思います。つまり、建設された堰の全体の幅が極めて長いのです。そのうえ、石積の高さは水流に比べてそれほど高くないので規模が大きな増水時にはほとんどが水流に覆われてしまうそうです。
最も上流の左岸側には下流へ向かう南船通と呼ばれるいちばん水量が多い流れの水路があり、堰の上流端はそこから斜めに右岸側へ向かい、右岸側取水口に向かって次第に狭くなる流れの途中には下流に向けてもう一つの水路が設置されています。二番目の水路は中船通と言われ、南船通と同じくらいの幅があり、さらに取水口の直前にある水路は土砂吐と呼ばれて幅が最も狭く、用水側への土砂の流入を防いでいると考えられます。
江戸時代に築造されたこの堰は、当初全て自然石を積み上げて構築されて、その長さも現在の倍ほどありました。ですから、通船が重要な物資運搬手段であった江戸時代には、通船用の水路の傾斜も少なく、多くの船が荷物を積んで行き来した事でしょう。しかし、年月の経過により石や岩が摩滅し、また流下もしたので、比較的近年になって、コンクリートで石や岩を強化固定して距離も短くしたようです。
この堰堤で最も重要なことは、流れの中央に斜めに設置された石積であると思います。現在、コンクリートで固められた石や岩の多くは当時の石や岩をそのまま使用しているそうです。建設当初から堰の石や岩は、用水路に通じる上流側で最も大きく、下流側の河川の水流に近づくほど小さくなっていました。連続して長く多く設置された石積のそれぞれが、上流側にある大きな石や岩の流下を押し止めていたのではないでしょうか。その構造によって増水時でもこの石積が破壊され流される事が無かったので、水路側が土砂によって埋まることなく、常に水量が確保されていたのだと考えられます。
そして、もう一つ重要なことは、言うまでも無く、用水に用いる水以外の水の自然の流下とそれに伴う土砂の自然の流下も確保されていることだと考えます。通運のための二つの水路は、平水時でも船の通過が可能でしたから、増水時には大きな石や岩も山田堰より下流側に移動していたと考えられます。
今も残る石積みからの判断ですが、山田堰を構成していた石や岩の大きさは、最も大きなものでは一抱えよりずっと大きな石や岩だったようです。現地で観察したのではありませんが、多分、自動販売機ほどもあったと考えます。つまり、筑後川のその付近の流れは明らかに上中流域であったのです。現在では、付近の流れのほとんどがコンクリート護岸で覆われているので石や岩は少なくなっている様子ですが、江戸時代にはそれらはとても多くあったのでしょう。
この山田堰の工事方法を参考にして、ペシャワール会の中村哲医師がアフガニスタンで灌漑用水への取水工事を行いました。私自身も、その映像を見て山田堰の存在を知りました。
アフガニスタンの取水堰ではコンクリートは多く使われていないようです。初期に建設された取水堰の映像を見ると、この工事方法の意味がよく分かると思います。その映像では、水流の左岸にある取水口を見ただけでは、それが取水堰であるとは誰も思わないでしょう。取水口の上流側には水流に対して少し斜めに配置された石や岩による小さな段差があり、取水口の横の流れは荒瀬になっています。水量が少ない時には、荒瀬には石や岩が多く見えますが、水量が増加すればそれらは全て水の流れに覆われる事もあると考えられます。
同じ河川であれば似通った荒瀬や段差の光景は他の場所でも見ることが出来るのではないでしょうか。でも取水堰では、その僅かな段差がその直前に深い流れを作り、取水口に向けて水流を導いているのです。もちろん、水流の大部分は取水口の横の荒瀬から下流側へと流下しています。
変化して流れる水流の途中に荒瀬があり、その上流端の石や岩が大きくて、その前が深くなっている光景は上流や中流では時々見る光景です。そして、荒瀬は石や岩が大きいのでその全体が移動することなく、その状況を長い間変化させる事がありません。
つまり、アフガニスタンでは、容易に流下しない大きさの石や岩を、工事によって流れの中央部に集積させて、どこにでもあるような河川の光景を形成したのだと思います。
なお、アフガニスタンの工事では、取水口に続く用水路の護岸方法にも見るべきものがあり、ただコンクリートを貼り付ければそれで良しとする日本の護岸方法より優れていると思います。
山田堰の工事方法を用いれば、自然に適応させた取水口を上流や中流に設置することは困難ではありません。また、現在のような衝立状の高い堰堤も必要なくなります。用水を確保して、同時に自然の水流とそれに伴う自然の土砂流下も確保できます。それにしても、これほど優れた取水方法が江戸時代に開発されていたにもかかわらず、どうして、現在までの長い間それが日本に唯一つしかなかったのでしょう。何故、日本全国に普及しなかったのでしょう。全く不思議です。
でも、実は、このような取水方法は各地に残されています。著者が承知しているそれは小規模な農業用の取水設備ですが、水流にある荒瀬の脇に取水口を設置しています。荒瀬の大きな石や岩自体をコンクリートで固めた取水堰もあります。山田堰と同じく取水口に巨石を設置した取水堰もあります。山田堰について説明した公務員の皆さまは、地方にある規模の小さな工事は目に入らなかったのでしょう。
全ての取水堰堤がこの方法で建設できるとは思いませんが、多くの場合で、この工事方法が適応できるはずだと考えています。そして、既にある多くの取水堰堤もこの方法に作り替えるべきです。
そうすれば、大規模な漏水を発生させた「明治用水」のような残念な事故は発生しなくなります。「明治用水」の漏水は、堰堤の上流側が洗掘によって浸食され、下流側は大きな石や岩が流下して来なくなったので浸食されたと考えられます。砂防堰堤でも同様の事故は発生していました。安倍川の大河内砂防堰堤でも、ずっと以前に、堰堤の下端に穴が開いた事故があった記憶があります。
これからの公共事業
今まで、多くの公共事業は多額の費用をかけても、建設さえすれば利益が生じる、或いは何とかなるとの考えで建設されてきたのでしょう。時には、その効果や管理維持費用さえ無視した公共財さえ建設され続けてきたのです。
砂防堰堤やコンクリート護岸はその典型的な例だと思います。それらは、その効果を疑うことも無ければ、それによって発生する不都合や耐用年数や撤去の問題などはほとんど無視されてきたのです。そして、その最たる例が貯水式ダムであったのだと思います。
でも、巨大な建造物であるダムの場合では、状況は深刻であり、曖昧でその場しのぎの対応が許されるはずはありません。その建設時には多くの企業や人々に少なくない利益を生じさせたとしても、その維持管理や、やがて必要になる撤去の事は誰も考える事が無かったのです。まして、それらの効果についての疑問を口にすることさえ憚れてきたのです。それらの不利益や維持管理費用や撤去費用はいったい誰が負担するのでしょう。それは、これから未来を生きる皆さんが負担するしかありません。
これらの事は、公共事業をその主たる事業としている企業の場合で重大な問題です。常に、その企業の存続にかかわる試練が存在していると言えるかもしれません。
電力会社の場合では、それらの問題をどのように判断しているのでしょうか。電力を製造すればするほど、有害物質を多く生産する原子力発電をさらに継続しようとしている姿勢は全く理解できません。将来、原子力発電から極めて大きな金額の費用が発生することが明らかなのに、何故それを考える事が出来ないのでしょうか。不思議でなりません。現状でも、原子力発電が必要としている電力製造費用の総体は、他の製造方法より高額になっていると考える人が多くいます。
日本国の人口はこれから長い期間減少し続けることが確定しています。仮に、今すぐ出生率が急激に上昇したとしても、それが人口の減少をくい止める、或いは人口を増加させるのは、30年以上後の事になると言われています。また、それらの人々が社会に出て生産活動に加わるためには、さらに多くの年月が必要です。
既に時代が変わっているのにも拘らず、多くの人々が、人口増加時代の高度成長をいつまでも追い求め、現在の自らの利益を獲得することにのみ精力を注いでいます。
適切な処理が極めて困難である危険な副産物を生産する発電工場は、世界中で未だに操業を続けています。国土が狭く地震や火山も多い日本には、それらを適切に保管し続ける場所も方法もありません。さらに日本では、発電工場に関わる大失敗が発生したのに、だれの責任も問われること無く、その費用を国民に押し付けて、失敗を重ねるためとしか思えない操業が再び行われています。
将来採算が取れるとは考えられない計画を押しすすめ、将来への借財を積み重ねている事業や政策は、それらだけで無く他にも幾つもあります。
プラスチックごみの問題や、過剰な二酸化炭素の問題、温暖化の問題、農薬に関わる農薬の問題など、現状では、未来への借財や未来への課題が増加して行くばかりです。でも、それらの問題を真剣に考え対応しようとする人々や企業は多くありません。
それらの借財や課題は、人口が減少した将来を生きる人たちが負担するしかないのです。目先の自らの利益を追求するばかりでは日本の未来は成り立ちません。今のままでは、日本国の未来は暗澹としているとしか言いようがないのです。
現在ある貯水式ダムや河川工事や海岸の工事を未来への借財にしてはなりません。私は、せめて、砂防堰堤やコンクリート護岸やダムや海岸の問題など、国民生活の基礎である治水や自然環境に関わる問題だけでも、早急に解決して、誰もが不安を覚える事無く、安心して生活できる状況を未来に残したいと願っています。