「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第6章 貯水式ダムの問題(2/4) -第2節
第2節 ダムの放流による弊害
ダムの放流による土砂流下の問題点
従来より、貯水式ダムの下流部では、河川敷から大量の土砂が流下してしまうので、河川敷の著しい侵食や河床の甚だしい低下が生じることが知られていました。その現象は「アーマーコート化(鎧化)」などと呼ばれています。
「アーマーコート化」と言う用語は、巨大な或いは特別大きな石や岩や岸壁だけが目立って残されて、河川敷から小さな大きさの石や岩の多くが流下してしまった河川や谷の状況が、あたかも鎧を纏った姿を想像させると言う意味を表わしているそうです。
この用語はダムの関係者や一部の治水関係者にのみ知られた言葉で、一般的に知られた言葉ではありません。貯水式ダムが大きな河川の上流部に建設されて、それらの場所の谷底が深く狭いことが多いので、ダムの本体に観光客が訪れたとしても、下流側の谷底の状況を知る事が限られているからでもあるのでしょう。
「アーマーコート化」の原因がダムの放流によることは関係者に承知されているようですが、それら過度の土砂流下の実際の過程についてはあまり解明されることが無かったようです。
多くの場合で、その原因として高い位置から落下する放流水の速度が土砂流下を生じさせていることに注目していたようです。また、ダム上流側から土砂が供給されない事を原因として論じることも普通だったようです。ですから、ダムの放流方法とそれに関連する原因追究はほとんど無かったのではないでしょうか。
ダムの放流では、その前提として、ダムからの放流水量(秒あたりの水量)がダムの建設以前の流下水量と同じであれば、土砂の流下に特段の問題は生じないと言う考え方があったと思われます。或いは、建設以前の流下水量より多くても氾濫が生じない限り問題は無いとの考え方があったのかもしれません。
しかし、これらの考え方は間違いでした。これらの考え方には、上流中流の土砂流下の規則性に関わる考察が全く欠落しています。
ここでは、ダムの放流によって生じている問題を原因ごとに四つの事柄に区分けしてみます。
第一は、上記の第1節で記述した、放流水を急激に増加させている問題。
第二に、多すぎる放流水(秒あたりの放流量)の問題。
第三は、急激に減少する放流水の問題です。
第四は、取水堰の問題です。
これらの問題について以下に説明します。
ダムの放流、第一の問題 急激に増加する放流水
ダムの放流による問題の第一は、放流水を急激に増加させることが、ダムの下流側に不必要な土砂流下を引き起こしている事です。つまり、上述の第1節で説明した事柄です。
ダムの急激な放流によって土石流と同様の状況が発生すれば、川底や川岸に出来ていた「自然の敷石」や「自然の石組」は簡単に破壊されてしまいます。「自然の敷石」と「自然の石組」の破壊による弊害は既に幾度も記述しています。
多くのダムでは、ダムの放流がある度にその下流側で土石流と同様の状況が発生しているのではないでしょうか。
ダムの放流が無い期間には、河川維持用水や雨水や小さな沢や支流によって、「自然の敷石」や「自然の石組」が少しは形成されると考えられますが、ひとたびダムからの放流があれば、「自然の敷石」も「自然の石組」も容易に破壊されて多くの土砂が流下して行きます。「自然の敷石」や「自然の石組」が形成されることがなければ、河床が次第に侵食されて行くことは当然のことです。既に記述した第1節の場合では、流下した総水量が少なくても放流のたびに土石流が発生して、その都度、川床が2m前後も浸食されていたのです。
ダムの下流側に発生する前述の土石流は通常の土石流と異なり新たな土砂が加わることはありませんから、通常の土石流よりもその弊害は大きいと言えます。つまり、ダムの下流側に元からあった土砂は、放流がある度にひたすら下流に向けて大量に流下して行くばかりです。
やがて、ダム下流側の流れには、それらの土石流によっても容易に移動流下しない巨大な岩や、特別大きな石や岩や、岸辺の岸壁や、河床の岩盤ばかりが目立って残されている状態になることでしょう。
ダムの放流による土石流発生の問題はダムの放流方法の問題ですが、ダム下流側の谷間の状況はダムごとに異なり、それぞれの放流ごとにその時々の状況も異なっているので、全てのダムの全ての放流の機会で土石流現象が生じているとは考えていません。
しかし、上述の第1節で記述した現象は今までほとんどその指摘が無かったのではないでしょうか。ですから、既にある全てのダムについてこの問題を検証する必要があると考えています。
その可能性があるならば、早急にダムの放流方法を改善する必要があります。幸い、ダムの構造自体は急激な放流を抑制し易いものと考えられますから、その改善も比較的容易なのではないかと思います。
この問題では、放流の初期の段階ほどその放流量の増加の程度を少なくする必要があるのです。ある程度放流水量が増加した後では問題が発生する可能性が少なくなる事が予想されます。
ダムの急激な放流は下流へ与える影響も大きなものです。特に、ダムの急激な放流と海岸の砂浜との関係についても考慮する必要があると考えています。この問題については章を改めて記述します。
ダムの放流、第二の問題 多すぎる放流水
ダムの放流による問題の第二は、ダムから放流される水量が多すぎる問題です。多すぎる放流水とは、この場合、秒あたりの放流量を指します。貯水ダムから放流する水量の全体量を指し示すものではありません。
この問題を言い換えると、放流水が流下する時にダム下流側の水位が高くなり過ぎるのは間違いですよと言う事です。
川底や川岸に出来ていた「自然の敷石」や「自然の石組」が、特別規模が大きな増水によって破壊されることを何度も記述しています。一度破壊された「自然の敷石」や「自然の石組」が再びより良く形成されるためには何年もの年月が必要です。ですから、「自然の敷石」や「自然の石組」を破壊する過大な放流の機会を極力減らす必要があります。
つまり、ダムの放流によるダム下流部の水位の上昇は低い程良いとも言えるのです。
ダムの建設では建設以前に多くの調査が行われています。その中にはダム建設地での流下水量の調査があったはずです。その数値は極めて重要です。ダム建設以前に調査された流下水量以上の水量を放流してはいけません。やむを得ず、それに近い放流量を生じさせたとしても、その放流量の継続時間を可能な限り短い時間にする必要があります。
第1章、第2章で記述していますが、河川にある石や岩を含む全ての土砂は、その河川で流れる水量を前提にした規則性に従って流下し堆積しているのです。
ダム建設以前の流下水量よりも多くの水量が流れる機会があれば、極めて大量の土砂が流下してしまいます。残されるのは特別巨大な岩や岩盤や岸壁ばかりになります。
もちろん、ダムよりずっと下流側の流れでもダム建設以前の流下水量を前提にした土砂流下と堆積が生じているのであり、その治水構造もそれに従ったものになっているのです。
ダムの放流、第三の問題 急激に減少する放流水
ほとんどのダムの放流では、放流の度に急激な減水が行われているのではないでしょうか。ダムの放流水を急速に減少させることが下流側の河川の土砂流下と生物に悪影響を与えています。この問題も語られることは少なかったと思われます。
降雨による河川の増水では、その流下水量が最大量に達するまでの水量の増加速度と、最大水量が減少して通常の水量に戻るまでの減水の速度が異なっています。流下水量が最大に達するまでの時間よりも、最大水量が通常の水量にまで減少するまでの時間のほうが長いのが普通です。そして、降雨量が多い程、流下最大水量が多いほどその傾向が強く現われます。
例えば、大きな台風がやって来て、雨が降り始めて五日目に降雨による流下水量が最大に達したとしたら、流下水量が通常の水量に戻るまでには数週間掛かっても不思議ではありません。場合によっては一か月近くかかることもあるかもしれません。それに対して、降雨量が少なく、一日で最大水量に達した増水の場合であれば、二〜三日で通常の水量に戻るのが普通です。
ダムの放流では、このような自然の減水過程を無視した放流停止が行われているようです。
ここには、三つの問題があります。
(ア)ダムによる放流の停止と「自然の敷石」と「自然の石組」の形成
この問題は「自然の敷石」と「自然の石組」の形成に関わる事柄です。
急速に減水すれば、その時に水と共に流れていた大量の土砂の多くがそれぞれに適切な場所まで流れ下る事無く途中で堆積してしまいます。突然に水量が減少すればその場の土砂の有様は土石流の後の状態と同じです。
つまり、ダムの放流が穏やかな増水であり、その流下水量が特別多くはなかったとしても、放流が急速に停止すれば、やはり、土石流の後に似通った状態が生じる可能性が大きいのです。
急速に減水された流れでは「自然の敷石」と「自然の石組」の形成が遅れます。「自然の敷石」と「自然の石組」が形成されるのには、緩やかな減水過程と幾たびもの増水と減水の過程が必要です。ダムの放流であっても、ゆっくりと減水していくならば、「自然の敷石」と「自然の石組」が形成されていく可能性があるのですが、急激な減水ではそのようなことがありません。
ダムは、河川の上流部に建設されることが多いので、ダムの下流側には多くの支流が流れ込んでいます。自然の水量の変化がある支流からの水流が合流すれば、この問題の発生は少なくなると考えられます。ですから、この問題は、ダムに近い上流部ほどその影響が多いと言えるでしょう。
とは言え、中流部や下流部に全く影響がないとは言えません。
(イ) ダムの放流と生物への影響
放流水の急激な増大と急激な減少は、下流側の水中で棲息している魚類やその他の生物へ直接的に影響を与えています。自然の増水であれば、水量は徐々に増加して行き、やがて茶色の濁りが発生します。また、水量の減少と共に茶色の濁りは徐々に解消して白い濁りになり、やがて透明な流れが取り戻され水量も元に戻ります。
しかし、ダムの放流ではこれらの過程はありません。茶色の濁りが突然に生じた上に、茶色の濁りや白い濁りのまま突然に水量が無くなってしまう事もあります。そのような流れでは濁りの素である砂や小さな土の粒子が所構わず堆積します。
もちろん、ダムの下流には幾つかの支流があるのが普通ですから、下流側の全ての場所でそのような現象が生じているのではありません。それでも、下流側の多くの生物に影響を与えていることは間違いありません。
河川の水中に生息する生物の全ては、増水の後で自然に水量が減少して自然に濁りが解消する事を前提にして、その種としての進化を遂げてきたはずです。突然、川底に大量の砂利や砂や土や小さな土の粒子が堆積するような、自然からかけ離れた状況は、ほとんどの生物にとって悪い影響を与えるものでしかありません。
(ウ)ダムの放流と砂浜
急激な増水と急激な減水は、海岸の砂浜の形成にも重大な問題を引き起こしています。つまり、急激な放流と急激な放流の停止は、浜辺の砂浜の形成を阻害しています。
放流を停止させる場合でも、放流水が減少するほどにその減少の程度を穏やかにする必要があります。この事柄も、今まで話題になる事は無かったのです。この問題については次の第7章で詳しく説明します。
ダムの放流、第四の問題
取水堰からの放流
第四の問題は取水堰の問題です。
多くのダムでは、その貯水量を増加させ発電量を増加させる為に、ダムの下流側で合流する支流の上流部にも取水堰を設置して支流の水を取り入れています。時として、全く異なった水系にそれらを設置している事もあります。それらの取水堰はその規模が小さなものですが、取水堰堤下流の水流と土砂流下に与える影響は本流のダムと何ら変わることはありません。
何度も記述していますが、上流や中流での土砂流下の規則性はその流れの規模に従って発生しています。水量が多い水流では水量が多いなりに、水量が少ない水流では水量が少ないなりに土砂流下現象が生じています。
ですから、水量が少ない取水堰堤でも、上述した、第一、第二、第三の問題が発生しています。元々水流が少ない取水堰堤の事だから、その放流は適当で良いなどと言う考えは成り立ちません。
取水堰から元の水流に向けて堰堤の堰を開放することを「放流」とは呼ばないのかも知れませんが、ダムの放流と同じ事柄と考えますので、ここでは「放流」と呼ぶ事にします。
実際、ダム周辺にあるそれらの支流の取水堰堤の下流側での荒廃ぶりは酷いものです。もはや渓流とは呼べない状態の流れも珍しくありません。砂防堰堤に次ぐ砂防堰堤が幾つも建設され、その間には砂や砂利などが平らに堆積しているだけの水流が多くあります。当然「自然の敷石」も「自然の石組」も形成される事はありません。それらの流れでも急激な増水と急激な減水が発生しています。もちろんそれらの流れに魚類等の棲息はありません。
日本中の全ての流れを調査したのでありませんが、おそらく多くの取水堰堤の下流側で同様の事もしくはそれに近い状況が発生していると考えています。
取水堰からの放流が行われるのは、点検の時を除けば大量の降雨があった時だけではないでしょうか。
つまり、取水堰が放流するのは、取水堰の上流側でも多くの降雨があり多くの水流が流れている時なのです。その時に取水堰をいちどきに開けば極めて大量の水が流れ出すことは当然のことです。もちろん、上述第一、第二、第三の問題が発生しています。その結果が、荒廃した取水堰下流側の流れです。
水量が少ない取水堰堤であっても、ゆっくりとした放流の開始と、多すぎない放流量と、穏やかな減水過程でなければなりません。 なお、この第四の問題は、発電に使用した水を河川に戻す場合でも当てはまります。