「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第4章 「砂防堰堤」(3/4)-第3節
第3節 「砂防堰堤」からの土砂流下
濁りの解消と土砂流下
第1章では、土砂の流下量が多いほど濁りが強い事、濁りが少ない時には土砂の流下量が少ない事、濁りが発生していない時でも小さな土砂が流下している事を説明しています。でも、砂防堰堤の事を記述したことにより、土砂流下と濁りの関係について、もう少し詳しく説明する必要があると考えました。
先ず、第1章では説明しなかった濁りの解消について記述します。
増水によって茶色に酷く濁った上流中流の流れは、減水と共に次第にその色を薄くしますが、茶色の濁った水がそのまま透明に戻ることはありません。減水が進めば、茶色の濁りは、薄くなると共に次第に濃い白い濁りに変化します。この段階では全く透明ではありません。その濁りの色が少し緑色がかって見え、やなぎ色と呼ばれる事もあります。白い濁りは少しずつその濁りを薄くして透明度が高くなり、やがては全くの透明になります。
地元(静岡)の釣り人の多くは、透明になる前の白い濁りの段階を「ささ濁り」と呼んでいます。降雨の時の増水による自然の濁りの場合、濁りの解消は上流から始まり次第に下流に向けて拡大していきます。
私の地元の安倍川の濁りを例として記述しましたが、河川の濁りの色の変化やその解消の過程は、それぞれの河川や地質によって異なっていると考えられます。それぞれの河川の状況をよく観察して頂ければと思います。
第1章で濁りが無い時の土砂流下について簡単に触れましたが、ここでは、そのことに関連した私の経験について少し詳しく説明してみます。
ある小規模な貯水式ダムの流れ込み付近での出来事でした。渓流釣りでは、水の流れを横断するのは必要に応じて行うありふれた行為で、その時には、水深が浅くて流れが緩やかな、危険が少ない場所を選ぶのが普通です。
その日、流れを横断しようとしたのは、水面が広がる貯水池よりも少し上流で最も浅く見える場所でした。全く透明な水が流れる川幅は20mに満たない程で、最も深い箇所でも膝ほどの深さに思えました。流れが速く僅かに波だっているのが気にはなりましたが、危険を感じる程の流速では無かったのです。
岸辺から1mくらい進むと足元から握りこぶし位の大きさの石が一つ二つ流れ下って行きました。さらに足を進めると、濁りを生じないまま幾つもの石が足元から同時に流れ下って行くのです。その場所には握りこぶし大の石が敷き詰められたように広がっていたのです。
膝までの深さはありませんでしたが、流れの中央までは距離がありました。さらに先に進めば、足元がすくわれて体ごと流されることが考えられました。ですから、渡渉を諦めるしかなかったのです。
他の河川の大きな淵の流れ込みでも、同じような経験をしたことがあります。その時に足元から流れて行ったのは砂利や砂でしたが、やはり濁りが発生しないままそれらの土砂が流下して行ったのです。
上記の二つの実例からは、濁りの素である小さな粒子が流下してしまえば、流れの中の土砂であっても、濁りを発生させないで流下移動して行くと言うことが明らかだと思います。
「砂防堰堤」下流側の侵食の実際
先に、砂防堰堤下流側でひどい侵食が始まることを説明しましたが、この事は、実際に、ある砂防堰堤の下流側で白色の濁りが濃くなっている事を端緒にして解明できたことです。
安倍川のある砂防堰堤で、増水後の上流側の流れの濁りが薄くなった後でも、堰堤の下流側から再び濁りが濃くなっている事が新聞の記事になっていました。それを読んだ私はその様子を見に行きました。もう、随分以前の事です。
堰堤の上流側では増水後の流れが、白濁してはいましたが透明に近くなっていたのに、下流側からは確かに白い濁りが濃くなっていました。濁りは堰堤直下から始まり、かなりの距離を下らないと濁りの濃さは解消していませんでした。砂防堰堤が原因であると考えるしかない状況でしたが、最初、その原因は全く不明でした。
詳細に観察したところ、堰堤の下流側では、その建設当時よりも河床が甚だしく低下していました。建設当初より5m以上も侵食されていて、堰堤のすぐ下流側で堰堤が一段追加され、さらに、その堰堤直下にもそれより下った場所にも幾つものコンクリートブロックが堰堤状に積み重ねられていたのです。
また、堰堤直下から200mほど下った箇所の川底に岩盤が露出していました。安倍川ではかなりの上流部に行かなければ川底に岩盤を見ることはありません。中流部に近いその場所にだけ岩盤が露出しているのも不思議な事でした。それに対して、堰堤上流側では、小さな石や砂利や砂による「瀬」が長い距離に亘って続いていました。
それらの事実からようやくにして思い至ったのが、河床の侵食であり、川底の土砂堆積の下にある地表面の侵食でした。当時の私は「自然の敷石」や「自然の石組」の考え方にはまだ至っていませんでした。それでも、ある程度の確信をもって、堰堤下流側で過度の侵食が発生している事を文章にして、WEB上に掲載しました。
今にして思えば不十分な論述であり、拙い文章でした。それでも、この文章は、WEB上に幾つか掲載している論述の中で最も多く読まれている記述なのです。かなり多くの人がこの記載を読んでいることから考えると、おそらく、各地の砂防堰堤の下流側で、河床の過度の侵食が生じていると判断しています。
安倍川河口で見た土砂流下
同じく安倍川をずっと下った河口付近で、少ない量でしたが川底の土砂がまとまって流下する光景を、少し白い濁りの中に見たことがあります。
安倍川は、中流域の景色のまま海に流れ出ている河川で、河口であっても人の頭の大きさ位の石や岩を所々で見ることが出来ます。それより小さな石や岩や砂はもちろん多くあります。
増水からしばらく経過した後のそのような河口で、岸辺の近くで流れに沿って丘状に少し盛り上がった川底を見る機会がありました。水の深さは膝丈ほどだったと思います。
その、少しだけ白く濁った流れを何気なく見ていると、川底の一箇所が突然に崩れ土砂が流れ散りました。崩れ去った土砂のかたまりは高さ7〜8cm位、一辺が各10〜15cm内外の立方体状で、それは大きな砂利と小さな砂利と砂による塊で、崩れると同時にそれぞれが全くばらばらに散らばり流れてしまいました。
崩れた後には明らかな段差が残されていましたから、やがてそこから次の崩壊が生じることが窺われました。その極めて小さな土砂崩壊では、濁りの発生は全く無く、少しだけ白く濁った流れのそこだけ濁りが強くなる事もありませんでした。濁りが発生しなかったから、土砂の崩壊と崩壊後の光景も目撃することが出来たのです。
「砂防堰堤」の土砂流下と濁り
前述した徒渉の際の経験では、全く濁りが発生しなくても土砂が流下することを説明しました。安倍川河口での目撃例では、濁りがほぼ解消する時期に見る白い濁りの中でも、僅かとは言い切れない量の土砂が流下している可能性が示されています。
言い換えると、土砂が流下しても常に茶色い濁りが発生するわけではない事、そして、全く濁りが発生していない時でも土砂が流下している事があるのは確かだと言えます。
水流が透明な時であっても、砂防堰堤の上端から流れ落ちる水流と一緒に、多くの小さな土砂が流下している可能性があります。そして、砂防堰堤の下流側からも多くの小さな土砂が流下している可能性があります。それらは濁りの酷い増水の時に限りません。僅かな濁りの時やほとんど濁りの無い時でも小さな土砂が流下しています。また、砂防堰堤以外の場所で、私たちが透明と判断する流れであっても、小さな土砂は常に流下しているのかもしれません。
例えば、上流側や支流に幾つもの砂防堰堤がある上流で、流れが透明であるのに、水中にある石や岩の表面が薄い泥で覆われている状況を見る事がしばしばあります。それらは、幾つもある砂防堰堤やその下流側から、濁りを生じないまま、極く小さな土砂が流下しているからではないでしょうか。
堰堤上端から流れ落ちて行くそれらの小さな土砂は、「自然の敷石」や「自然の石組」が普通に形成されていたならば流下するはずの無かった土砂です。また、堰堤下流側から流下して行く小さな石や岩や小さな土砂も、「自然の敷石」や「自然の石組」が普通に形成されていたならば流下するはずの無かった土砂なのです。
砂防堰堤が土砂流下に与えている影響は、多くの人に気付かれないまま密かに深刻化し続けています。