「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第2章 「淵」の形成と土砂との関係(2/2)−第2節、第3節
第2節 洗掘(せんくつ)
河川工事で「洗掘」と呼ばれている現象
実は、前節で説明した「淵」の形成問題は、河川の土木工事に関わる皆さんにとっても重要な事柄でもあるのです。
河川工事に関わる土木工事には「洗掘」と呼ばれる現象があります。でも、その現象を表す言葉は、その概念が必ずしも明確ではない印象があります。WEB上に以下のような記載がありました。
洗掘(せんくつ)
激しい川の流れや波浪などにより、堤防の表法面の土が削り取られる状態のことです。削られた箇所がどんどん広がると破堤を引き起こすことがあります。洗掘の進行を抑える対策としては、木流し工法、シート張り工法等があります。
出典 国土交通省東北地方整備局河川国道事務所ホームページ「最上川電子大辞典」
URL:http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/words/03sa/sa-021.html 2018年11月21日引用
侵食
侵食(しんしょく、侵蝕とも、erosion)とは、水や風などの外的営力により岩石や地層が削られること。浸食(浸蝕)と表記する場合もあるが、水に「浸る」とは限らないため、学術的には侵食(侵蝕)の表記を用いる[1]。
水の場合は雨水およびそれが流れたものから河川の流れ、海や湖の波、氷河などが原因(scoring)。水流そのものによって物理的侵食をする場合を「洗掘」、長時間にわたって堅い岩盤などが摩耗されることを「磨食」と区別することもある。
出典「侵食」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
最終更新 2017年11月28日 (火) 16:23 UTC
URL https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E9%A3%9F
WEB上には、上記引用文以外にも「洗掘」についての説明がありますが、それらの幾つかでは「洗掘」の定義が必ずしも明確ではない印象があります。それらの記述では、河川での通常の「土砂流下」や河底や海底の普通の「土砂移動」と、「侵食」との区別が明らかではないことが多くあります。河岸や河底あるいは海岸や海底の土砂が流下或いは移動するのは普通の事ですから、河川や海底の土砂が普通に移動することを「洗掘」と言う人はいないでしょう。
「洗掘」は、一般的には困った出来事であり、その発生を防いだり発生の後の対策について考察する時に多く用いられている言葉としての印象があります。
例えば、河川中に設置された橋の橋脚や工作物の基礎などに過度の土砂流下或いは侵食が発生することを指している事が多いのです。
ですから、WEB上の記載でも「洗掘」を防ぐ工事方法が幾つも紹介されています。つまり、「洗掘」は、何らかの建設物や工作物を水中に設置した際に、工事の当初においては予定しなかった又は望んでいなかった「過度の土砂の流下」や「過度の侵食」が発生する事を指していると考えます。
河川工事の関係者が言及する「洗掘」現象は、前述した淵の形成と同様の現象だと考えています。つまり、上流や中流の土砂流下の規則性から考えれば、ごく普通の現象であると考えられるのです。
「洗掘」現象の実際
前述の『「淵」は、「特別大きな石や岩」がある場所に出来る』では、特別規模が大きな増水であっても流下移動しない特別大きな石や岩がある場所に淵が形成される事を説明しています。
その節では、「淵を形成するおおもとの現象は、特別大きな石や岩などが、その周囲に強い水流を発生させて、周囲にあるその他の土砂をより多く流下させる現象であると考えています。」「特別大きな石や岩でなくても、石や岩の大きさが大きい程その周囲の土砂を流下させる力が強くなり、その近くにある土砂は小さいほど流下し易いのです。」とも記述しています。
洗掘の発生が問題になる事が多い「橋脚」や長く続く「コンクリート護岸」等は間違いなくこれらの条件に合致しています。
ですから、洗掘が明らかでなくても、「橋脚」「コンクリート護岸」を設置した場所では、規模が大きな増水の最中には洗掘状態が発生している可能性が大きいと言えます。増水後に、それらの場所に洗掘状態が残らないのは、『「淵」を維持する要素』で記述しています。「一時的に深くなった場所が形成されたとしても、土砂が常に流下して来て堆積し続ける、或いは周囲や岸辺の土砂が常に崩れて落ち込む場所であったなら、淵と呼ばれるとは限りません。』これらの現象は、中流部で良く発生しているようです。
これらの事実から、「橋脚」や「コンクリート護岸」における「洗掘」現象の発生は、不可避であると言っても良いでしょう。でも、方法はあります。上記の事柄を承知した上で、今までに無い新たな方法を考えれば良いのです。
第3節 石や岩の相対的な大きさ
河川に見る石や岩の大きさ
既に「まえがき」に記述しているように、著者はここまでに「大きな石や岩」「小さな石や岩」などの記述を多くしています。場合によっては、「それぞれの場所にある」と言う言葉を付け加えたりもしています。それらは、それぞれの場所ごとに、石や岩の大きさを相対的に記述することを意図したものです。
私がこのように記述するのには訳があります。「淵」の形成の理由と、土砂の流下と堆積の問題を解明するきっかけは、淵にある石や岩の大きさに気が付いた事でした。
淵に幾つもの石や岩、或いは、大きな石や岩があることは、淵のことを考えるようになった時点で承知していたことでした。しかし、河川上流や中流には石や岩は極めて多くあるのです。淵を形成している石や岩と、そうでは無い場所の石や岩との違いを理解出来ませんでした。石や岩の大きさが関係している事は感じていましたが、それらを分ける基準が不明で、それらを数値的に区別する方法を探っていました。
長い間、淵や土砂流下の事を考えているうちに、あることに気が付きました。上流や中流に出来ている淵は、その場所にある石や岩が大きいほど、その淵も大きくなっていると言う事実です。これは、淵が出来ているそれぞれ個別の河川や水流に限っての事では無く、全ての上流中流の流れを同時に比較しても共通して確認できることでした。
水量が多い大きな河川に出来ている淵は、少ない水量の河川に出来ている淵よりも大きいのが普通です。それら大きな河川の大きな淵を形成している石や岩は、小さな河川の淵にある石や岩よりもずっと大きいのです。
また、同じ河川であっても、大きな淵にある石や岩は、近くの小さな淵にある石や岩よりも大きいのです。
さらに、小さな水流であるならば立派な淵を形成していたと考えられる大きさの石や岩でも、大きな水流の中にあっては、ただの流れの底の石や岩であったり、荒瀬の石や岩の大きさであったりしています。
上流や中流で水流中に絶対的な意味での大きな石や岩があるのは、水量が多い大きな流れの場所に限られています。そして、絶対的な意味での大きな淵があるのも大きな水流のある場所に限られています。
これらの事を言い換えると、水量の多い渓流や清流には絶対的な意味での大きな石や岩があり、小さな渓流や清流にはそれらと比べて小さな石や岩があるのが普通で、それぞれの流れごとにある特別大きな石や岩は、その大きさとその水流に相応しい大きさの淵を形成している、と言う事でしょう。これらの事実は、水流の大きさと、その流れに存在する石や岩の大きさとの関係を現していると言えます。
石や岩の相対的な大きさ
水量の違いや石や岩の大きさの違いにもかかわらず、それぞれの渓流や清流でそれぞれに「淵」が形成されています。ですから、「淵」の形成は、石や岩の絶対的な大きさに関わらない現象であると判断しても良いと考えられました。実際、淵を形成する石や岩の大きさを絶対的な大きさをもって、数値的に考え続けていたなら、淵が形成される謎は解けませんでした。
水量が多い場所の特別大きな石や岩と、水量が少ない場所の特別大きな石や岩は、その絶対的な大きさが異なっていてもそれぞれに淵を形成することが出来ます。
石や岩が淵を形成することに気が付いたとしても、その事だけでは、淵を形成する石や岩の要因について何らかの基準を定めることは出来ません。
石や岩の大きさについて、それぞれの場所ごとの相対的な大きさを基準にしなければ、「淵」を形成する石や岩の役割を明確に知ることが出来ませんでした。
そして、この考え方は、淵の問題に限らず上流中流の土砂流下と堆積に関わる全ての現象についても当てはまる事でした。石や岩の絶対的な大きさが様々に異なっていても、それぞれの水流や場所ごとの相対的な大きさを基準にして考える方法によって、様々な水流やそれぞれの場所で発生している現象の規則性を普遍的に一括して記述することが可能になりました。
言い換えると、石や岩の多い河川の上流や中流で生じている土砂流下と堆積の規則性は共通していますが、水流ごと場所ごとに、水量ごと石や岩や土砂の大きさごとに異なって現われている、と言うことだと思います。
ですから、これまでの記述の多くの箇所での石や岩の大きさは、それぞれの水流ごと、それぞれの場所ごとの相対的な大きさを表しています。そして、この後の記述でもそれは同じように続きます。
繰り返すと、本書での「大きな石や岩」「小さな石や岩」の記述のほとんどは、それぞれの河川ごと水流ごと、或いはそれぞれの場所ごとの相対的大きさを説明しているのであって、全ての河川やそれぞれの場所の全てを一括して比較した時の絶対的な大きさを説明しているのではありません。