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河川上流中流と海岸を回復させるための新たな工事方法

>河川上流中流の現状とその回復>(A)「コンクリート護岸」の現状とその改善の実際

(A)「コンクリート護岸」の現状とその改善の実際



2022/01/04 新規掲載
2022/09/18、9/27 加筆訂正
2024/09/27 加筆訂正
 

 この頁は、「コンクリート護岸」の現状とその改善の実際」について、実際の写真と詳しい説明を掲載しています。写真はクリックすると拡大します。

写真例の場所を示す地図

 

「(A)「コンクリート護岸」の現状とその改善の実際」の写真

紫色のポイント 1~3、

ポイント1~3、は、コンクリート護岸の岸辺が浸食されている実際の状況です。
画像をクリックすると大きく表示されます。

ポイント1. 安倍川玉機(タマハタ)橋上流左岸の状況。
これらの写真は全て2021年10月撮影で、護岸全体の長さは300m程です。
 

*護岸の先端。上流側から自然の水流がこの場所に当たります。
 

*左の写真の少し下流側。

 

*下流側を見る。下流に玉機橋が見えます。
 

*さらに下流側。玉機橋が見えます。
 

*写真1の前面。自然の敷石も石組も全くありません。
.
 

*写真1よりも下流側。自然の敷石も石組も全くありません。
 

*中州と対岸の様子。自然の敷石も石組もほとんどありません。
 

*中州と対岸の様子。自然の敷石も石組もほとんどありません。
 

*護岸前面の中州の下流側。

 10

*護岸下流部の前面。自然の敷石も石組も全くありません。
この場所の対岸では、長い距離に亘りコンクリート護岸が設置されています。
この場所に新たな工事を施す場合、護岸の周囲全体の様相を考慮に入れる必要があります。この場所の護岸の前が浸食されているのには理由があります。ですから、新たな工事ではその構造の在り方を箇所により変える必要があります。
また、周囲の様相を考えれば、新たな工事は護岸全体の全てに及ぶ必要が無いことも明かです。新たな工事はその延長が30m~40m程度で済むのでは無いかと考えます。  
現在のままでこの場所を放置すると、水流は次第に両岸の護岸の岸辺ばかりを流下するようになり、それぞれの護岸の基礎を浸食することになります。それは、河川の中央に中州を形成させる事になり、同時に河川全体としての水流と土砂の流下能力を減少させる事になります。この場所より下流側では既に多くの場所でそれらの傾向を確認する事が出来ます。
新たな工事では護岸の前に自然石や岩による土砂堆積を構築します。その事によって護岸の浸食を防ぎ、水流を護岸から遠避けて河川敷の中央に戻します。護岸の前からの不必要な石や岩や小さな土砂の流下を防ぎ、周囲の河川敷全体での「自然の敷石」や「自然の石組」の形成を容易にして、治水状況を良好にして同時に水流に生息する様々な生物の生存環境を回復します。

ポイント2.西河内川(ニシゴウチカワ)腰越(コシゴエ)上流右岸の写真です。 *写真は全て2021年10月に撮影しました。

 1

*護岸の上流側の光景。自然の渓流がそのまま残っています。
 2

*上流端からみた護岸の全景。
 3

*写真2と同じく場所を護岸に寄ってみた光景。
 4

*写真2.3の少し下流側。
 5

*4より下流側。川底には岩盤が露出しています。
 6

*最も浸食された場所、同じく岩盤が露出しています。
 7

*6の下流側。

 8

*7の下流側。

 9

*8の下流側。

 10

*8の最深部、護岸の基部が露出しています。
 11

*護岸の下流側、自然の渓流が残されています。
 12

*9の光景を下流側から見ました。
コンクリート護岸前の水流から、かつて岸辺にあった石や岩が流失してしまうのは、どこの場所であっても必ず発生する現象です。それらの場所ごとの違いは、石や岩の流失が早く出現するか遅く生じるかの違いでしかありません。岸辺の石や岩の喪失は、「自然の敷石」と「自然の石組」の喪失であり、岸辺や流れが持っていた自然の治水的機能の損失です。また、コンクリート護岸の周囲からは以前あった自然環境のほとんどが失われます。それらの下流側では、急激な増水現象と急激な減水現象が生じ、以前には無かった多くの砂や砂利の堆積が発生しています。
このおおよそ200mの護岸では、その基部が露出している二か所を元通りにする事が先決だと考えます。 全体を自然の姿に戻すのはそれからになると考えています。
そのためには、増水によっても流下しない方法で、護岸の直前に石や岩による土砂堆積を形成する必要があります。それが出来れば、増水の度に流下して来る石や岩によって、上流側や下流側のような自然の護岸だけでなく、川底にも石や岩による自然の秩序が次第に形成される事でしょう。


ポイント3.西河内川上流トンネル下の写真です。 *写真は、全て2021年10月の撮影です。

 1

*護岸を下流側から見る。

 2

*水流は護岸に沿って深くなっています。
 3

*護岸の基部が露出し崩壊しています。
 4

*深い流れの先端部。底は砂や小砂利ばかり。
 5

*護岸の底が崩落し、川底は砂と小石ばかりで、残った基部は岩盤が支えています。
 6

*護岸前の深みへの流れ込み。護岸の基部は岩盤が支えています。
 7

*護岸前の深みへの流れ込みとその上流。

 8

*流れ込みの上流側。護岸の前であるのに石や岩が多く堆積しています。
 9

*護岸の前でも石や岩が多く堆積しています。

 10

*護岸の前でも石や岩が多く堆積しています。9の上流側です。
 11

*上流側ほど石や岩が少なくなっています。10の上流側です。
 12

*古い護岸とそれより新しい護岸の境。11の上流側です。新しいコンクリートは色が違います。
 13

*12の上流部。新しい護岸前には石や岩はありません。
 14

*左の写真13の下流側。

 15

*護岸を上流側から見る。

 16

*護岸より上流側の流れ。

この護岸で注目すべきことは、以前からの護岸がある場所の前半箇所と後半箇所とで石や岩の堆積具合が全く異なっている事です。写真3~11。この場所は水流の屈曲地点ですから、護岸の前から石や岩の全てが流失していても不思議は無いのです。しかし、短い距離ですが護岸の前であっても石や岩が残りました。護岸直前から石や岩の全てが流失しなかったから、護岸の全体ががかろうじて維持されて来たと考えられます。
この場所は上部にあった木々が既に伐採されていますから、水流上部のコンクリート構造を再度建設予定である事が伺われます。 この場所に、旧来のままの工事方法を追加するのであれば何年かの状況維持が可能であると考えられますが、月日が経過すればまたしても追加工事の必要性が生じる事でしょう。そして護岸の距離も大きさも増大させる事でしょう。
提案している新たな工事方法では、石や岩が流失した箇所に上流側と同じような構造を自然石によって構築し、護岸を守っている上流側の石や岩の堆積もさらに増強する事を企図します。既存の護岸に手を入れる必要はありません。

えんじ色のポイント 4~8、

新たな工事方法の参考になる状況。提案している工事方法の根拠となる実際の状況です。

ポイント4.西河内川の下平瀬(シモヒラセ)左岸の写真です。

 1

*2021年10月 自然の岸壁の直前であるのに岸辺に石や岩が堆積しています。川底に石や岩があっても周囲は砂ばかりです。
 2

*2021年10月 左の写真の石と岩の堆積とその前の水流の全景。石や岩の堆積の後半が失われています。
 3

*2017年5月に撮影した、写真1,2と同じ場所の光景。2021年よりも石や岩が多く自然の敷石も明瞭に確認出来ます。
 4

*2017年5月に撮影した、写真1,2と同じ場所の光景。2021年よりも石や岩が多く自然の敷石も明瞭です。
 5

*2021年10月 写真1~4までの場所より少し下流側対岸の石や岩の堆積。

 6

*2021年10月 写真5よりさらに少し下流側対岸の石や岩の堆積。

 7

*2017年5月 写真5と同じ場所の光景。写真中央では、左の写真より石や岩の量が少ない。
 8

*2017年5月 写真6と同じ場所の光景。左の写真より石や岩の堆積量がずっと少ない。
 9

*2021年10月 上流にある淵の渕尻で、溢れた水流が本流から離れて流れ出す箇所です。

 10

*2021年10月 規模が大きな増水時に写真9からの流れが生じた場所です。


 11

*2021年10月 規模が大きな増水の時、右側の岸辺と草が生えた左側の岸の間を水流が下り、岸壁前の水流と合流しました。
 12

*2021年10月 規模が大きな増水時の水流が合流した場所。水流が途絶えた跡には小石や砂が多く、水中でも元あった石や岩が多く失われました。
上の写真1~8は、水流が北へ流れて岸壁に当たって東へ向かいさらに南に方向を変えている中での北側の岸壁前の写真です。岩壁に当たった水流はその直前を深くしたまま、岸壁を離れるまで深く流れるのが普通ですが、この場所では、岸壁上部から落下した石や岩が岸壁直前に残り、流下してきた石や岩と共に、流れに並行した土砂堆積を形成している光景です。それは、堆積している石や岩のほとんどが似通った大きさで角が取れている事からも明かだと考えます。注目すべきは、それらの石や岩の堆積が年月の経過と共にその量を増加させて流下方向に延長増大している事です。(写真5~8)
しかし、写真1~4ではその量を減少させています。これには訳があります。北へ流れる水流の河川敷は広く、この場所の100mほど上流にある渕の淵尻では規模が大きな増水になると水流を二つに分けます。西側の一方は通常の流れと同じ場所を、もう一つは、通常の流れを離れて山の根に沿って下流方向に向かいます。
 つまり、通常の流れは、直角三角形を真っすぐに荒瀬を形成して下り、底辺の岸壁に当たってほぼ直角に東へ向かいますが、その箇所の流れは比較的穏やかです(写真1~8)。それに対して、規模が大きな増水時に北向きの尾根に沿って流れる東側水流は距離も短いので急な流れになります。規模の大きな増水時に二つの流れが出合う写真2、12の場所では、水流がひどく乱れて、形成されていた石や岩の堆積を破壊しました。河川の流れを平水時と比べると、規模が大きな増水時では水流の量だけで無くその位置も変化するのが普通です。(写真9~12)
写真7、8から 5、6への変化では、それらよりも上流側にある写真3、4の石や岩が5、6に移動流下した結果では無いかと考えています。以下13~16の写真と説明も参考にして下さい。

上記写真の状況を説明すると考える「安倍川本流瀬戸橋上流」の写真
*写真13,14,15,16,は拡大写真が他より大きくなります、2560×1920、ご注意ください。
 13

*2011年9月
規模が大きな増水の減水時に見た水流の様子。やや茶色の白濁した流れです。
 14

*2011年9月
規模が大きな増水の減水時に見た水流の様子。やや茶色の白濁した流れです。
 15

*2021年11月
水流の位置は移動していますが、左の写真14とほぼ同じ場所です。写真中央の水筒は高さ20cm。
 16

*2021年11月
水流の位置は移動していますが、左の写真13とほぼ同じ場所です。

写真13,14は、2011年9月の撮影です。規模が大きな増水の減水時にそれまでに見た事の無い光景に気が付きました。白い大きな波が流れに沿って幾つも連続して連なり、それぞれの波は流れと共に下る事なく常に同じ場所で生じています。白波の連続は長いものでは10m以上あり、大きめな波もあり小さめな波もあり、それぞれに左右の岸近くで発生していました。この現象の意味を理解出来たのはずっと後の事でした。是非写真を拡大してご覧ください。
この現象は、スピードスケートや自転車競技の団体戦を考えれば理解し易いと思います。それらの競技ではチームが一列に並んで走る光景が普通です。空気抵抗が多い先頭の選手の後ろ側は空気抵抗も比較的少なくて済みます。ほぼ同じ状況が自然の水流の中で生じていると考えられます。
先ず、速い流れの中であってもその場にとどまる事が出来る石や岩がその場に止まります。その直ぐ後ろ側の水流は周囲程には速くありません。ですから、そのすぐ近くを流下していた石や岩がとどまっている石や岩の後ろ側に入り込みます。この現象も高速道を走るトラックの場合では良く知られています。それらの石や岩は最初にとどまっていた石や岩と似通った大きさであることが多いと思います。大き過ぎればその列に加わる前に他の場所にとどまるでしょう。小さ過ぎればその列からも弾き出されてしまう事でしょう。そしてその列は流れに沿って少しづつその距離を延長することが考えられます。
つまり、同じ場所で幾つも白く波立ちし続ける流れの下では、速い流れの中でも流下する事のない石や岩が列を作っているのです。その時には、それらよりも小さな石や岩や小さな土砂のほとんどは、濁った流れの中を流下し続けている事でしょう。
この現象は、それぞれの箇所ごと減水の程度ごと石や岩の大きさごとに生じているのであり、水量や水流の強さと石や岩の大きさとの関連は不明ですが、減水の過程が穏やかであるほど、石や岩が多いほどより多くの石や岩を集積させる事を想像させます。
この現象は一つの石や岩に限った現象では無いと考えます。それらの場所に複数の石や岩がとどまっていれば、より多くの石や岩が次々にその場にとどまる事になるのではないでしょうか。
写真13、14、では自然の敷石も石組も全く形成されていません。それに対して、写真15、16では岸辺の斜面には多くの石や岩が集まっています。でも川底には砂や小石が多くあり、水面から離れた河川敷の石や岩の状態は全くの無秩序状態です。

ポイント5.大井川千頭(センズ) の写真です
この場所は、幹線道路のすぐ下とそれに続く上流側にあり、水流による自然の岸辺の形成と河川工事の状況を観察するのには丁度良い場所と言えます。

*写真1~12は全て護岸上の道路から撮影しました。
*写真1~8の拡大写真は少し小さいサイズです。(640×480)
 1

*2010年7月 護岸上の道路から対岸方向の光景。自然の広い河川敷がそのまま残っています。
 2

*2010年7月 同じく、左岸側の上流部の光景。

 3

*2010年7月 左岸上流側のほぼ全景です。

 4

*2010年7月 写真3より少し下流側で、護岸の直前です。入り江状の奥には小さな水路の出口があります。
 5

*2010年7月 流れてきた水流が直接当たる護岸とその周囲の様子。

 6

*2010年7月 垂直に近い護岸の真下にあるのに岸辺には大量の石や岩があります。
 7

*2010年7月 写真6の下流側。石や岩の堆積はここまで続いています。

 8

*2010年7月 写真1、5、の下流部。つまり、ここでは水流が二手に分かれ護岸の下で合流しています。
 9

*2010年8月 写真2、とほぼ同じ場所の光景です。

 10

*2010年8月 写真3、とほぼ同じ場所の光景。水量が減っています。
 11

*2010年8月 写真4、とほぼ同じ場所の光景。水量が減っています。入り江の奥が小水路の出口です。
 12

*2010年8月 写真5、とほぼ同じ場所の光景。水量が減っています。
写真1~12は、大井川の千頭の少し上流の幹線道路から撮影しました。2010年7月に、たまたま通りかかり気になったので写真を撮影しましたが、写真機の設定が間違えていたので、後日、8月になってから再訪して写真を撮り直しました。
この河川敷の左岸には他の場所では見る事が出来ないほどの高さと距離で堆積した大量の石や岩があります。それらの石や岩の中には決して小さいとは言えないほどの大きさの物も多くあります。そして、幹線道路の真下には、巨大なコンクリート護岸(岸壁)の前であるのにも拘わらず上流側と同じく大量の石や岩の堆積があります。これら二つの状況はそれまで見た事も無かった光景であり、その成因も全くの謎でした。

11年後の2021年11月に同じ場所を再訪しました。幸い水量の大幅な減少と、私自身の多くの場所での観察の経験により上記の疑問も少し解決したと思います。それらについては写真の後に記述しています。
技術不足により、この度の写真撮影も一度では満足出来なく10月と11月の三日間を要しましたが、その間甚だしい水位の変動はありませんでしたので、それらを区別することなく一括して掲載しています。水が枯れているのが10月下旬で、少しだけあるのが11月です。
 13

*5、12の写真と同じ場所です。護岸に直接当たる水流の位置は移動して、左岸岸辺からの水流はほぼ枯れています。
 14

*13の写真の上流側です。水流は二つに分かれて護岸と岸壁に当たっています。

 15

*14で二手に分かれる上流側の左岸の岸辺の様子。同じ様子は14の対岸でも見る事が出来ます。中央の水筒の長さは20cmです。
 16

*写真4とほぼ同じ場所ですが、水は枯れています。中央右のコンクリート護岸と石や岩の堆積斜面の下流端にも注目して下さい。
 17

*16の上流側。斜面と川床の砂とが綺麗に区分されているのは、水が枯れた時の水流が弱く砂しか流れていなかったからです。
 18

*小さな水路の出口から上流側。この光景は写16の上流側です。この出口は17の右端にも写っています。
 19

*写真17、18の上流側の光景です。中央に土手の斜面を下る道があります。この通路は4でも見えます。
 20

*19の通路の下端付近の斜面から写真16、17、18の場所を見ました。水筒の高さは20cmです。
 21

*写真20付近から上流側の光景です。水筒が中央にあります。
 22

*写真21の拡大です。石や岩の大きさに注目して下さい。
 23

*写真21より少し上流側。石や岩は付近で下部ほど大きい傾向があります。それは写真15でも同じです。
 24

*写真23の川床側から撮影しました。

 25

*写真24より少し上流から下流側を見た光景です。左側の斜面には柳の樹の木陰が生じています。

 26

*25より上流側にある柳の樹。写真25の柳は手前から2番目で写真の中央やや左です。手前と中央の柳の間にはコンクリート護岸があります。
 27

*写真26の柳を下部から撮影しました。25、26の柳は根が著しく露出しています。でも、樹勢にはほとんど影響が無いように見えます。
 28

*ここにも小さな水路があり下流側の岸辺は草が多いのですが、より下流側と同様に石や岩の堆積による傾斜が形成されています。
 29

*左上は私の指です。スミマセン。写真28の木々の前が増水時に本流から分かれた水流が左岸の岸辺に当たる場所のようです。
 30

*写真29の左側の水流跡より眺める本流側の様子。写真2、9に見る水流と堆積土砂の上流端はこの付近でしょう。
 31

*写真30の本流側からみた29の岸辺。木々の前から河川敷の傾斜が大きくなっています。丁度、山の日陰になってしまいました。
 32

*写真31の上流側の岸辺の様子。左岸に堆積した土砂は小石や砂ばかりです。その前の水流の跡も注目です。

幹線道路より上流側で長く続く大量の石や岩の堆積は、過去の規模の大きな増水時に出来た土砂堆積が水流により次第に浸食されている状況であると考えられます。丁度写真15で、河川敷の中州が水流により徐々に浸食されている様相を見る事が出来ますが、この左岸では、それよりもずっとずっと規模が大きな増水による土砂堆積が年月を掛けて少しづつ浸食され続けています。水流や雨水によって小さな土砂が流れ去った跡に残された石や岩の内で大きなものは重力によって下部に移動し、岸辺の下部には上流から流れて来た石や岩も堆積しています。それらの全体は自然堤防と呼ばれる状態です。
写真11、19では、石や岩の斜面より上部に堤防を築きその斜面をコンクリートで覆っている様子です。つまり、それらの堤防は自然堤防の上に設置されています。これは、この場所の自然堤防の高さとその内側の平地の高さがほぼ同じ事からも言える事だと思います。
この自然堤防では、大河川である大井川だからこそ出来た雄大な様相を見る事が出来るのですが、石や岩の大きさや量だけでなく、上流側と幹線道路に近い下流側とで堆積土砂の様相が随分異なってる事も特徴となっています。下流側では石や岩が多いのに、上流側では砂や小石や砂利ばかりになります。これは、周囲の地形によるもので、この上流側には巨大な屈曲部があり、それは山地の地形ですからその位置を変えることがありません。従って、規模の大きな増水時には屈曲部の内側の下流箇所は、水面が広がり水流が穏やかに流れて小さな土砂ばかりが堆積します。上流中流でも河川敷が広がった場所では、増水時の水流が穏やかに流れ、他の場所より小さな土砂を堆積し易いのです。
この場所の問題点は、岸辺の浸食が年月の経過によって進行している事と、その傾向が近年ほど強くなっている事です。下流側から指摘してみます。先ず、写真6、7、11にあった道路真下の護岸前の石や岩の堆積は、写真13、16ではほとんど失われました。写真10、11にあった水底近くまでの石や岩の堆積も、写真16、17では見当たりません。写真2、9で見る分流箇所付近の土砂堆積量も写真28~32では随分減少しているようです。これらの状況を考えれば、この区域で今後、最初の課題となるのは幹線道路を支える護岸の維持の問題ではないでしょうか。
写真6、7、11の石や岩の堆積があったから、岸壁基部の浸食が酷くならなかったのではないでしょうか。写真10、11に見る石や岩の堆積があったから、写真6、7に石や岩の堆積が堆積したと考えられます。また、写真10、11の岸辺近くの中州も上流側の土砂堆積があったかこそ形成されたのでは無いでしょうか。それらは上述した「ポイント4.西河内川下平瀬」の場合と同じであると考えています。
また、写真26~28の水辺の樹木の問題も重要です。それらの樹木で根が地面からすっかり露出してしまった木々(シロヤナギ)のうちの幾つかは、コンクリート護岸の上に堆積した土砂に根を張り成長していたようです。なぜそれらの状況が生じたのかは不明ですが、木々の根が広範に伸長して周囲の土砂の流失を防いでいた事は確かです。写真からも石や岩を抱え込んでいた様子は明瞭です。
 かつて、コンクリート護岸の設置のために堤防の木々は不要物或いは障害物として伐採されました。その工事方法は現在でも継続しているのでしょうか。アフガニスタンで中村哲先生は、多数の石や岩を垂直に積み上げた水路の岸に数多くの木々を植栽して岸辺の継続的存続を図っています。また、先生は取水堰の建設も、荒々しい自然のままの河川の護岸についても資材や資金が無い中で優れて有効な方法を採用しています。
 石や岩の多い上流中流の河川工事においては各地に伝わった優れた工法がありました。中村先生の優れた方法は、それらの方法の応用ではないのでしょうか。しかしそれらの方法は、今迄、日本では全く無視され続けて来たのです。上流中流の河川工事に携わる全ての学者、官僚、工事担当者は、日本独自の工法や中村先生の方法から何も学ばなかったのでしょうか。間違えた工事方法を未だに改めようとはしません。何故でしょう、全く不可解と言うしかありません。
*参考資料 2016年 DVD「アフガニスタン用水路が運ぶ恵みと平和」日本電波社、ペシャワール会
今迄の河川工事の考え方では、これらの場所には順次コンクリート護岸を設置し改修を継続させるのが最適であると判断される事でしょう。でも、その方法は際限のない河川工事の連続と作業量の増大化を招き寄せるだけです。コンクリートの耐用年数は河川の存続年月に比べてとんでもなく短いのです。50年ほど前から全国各地の上流中流に極めて大量に建設されて来たコンクリートの建造物の耐用年数が、近い将来にいっせいに訪れます。
 既に人口減少時代に突入している現在、今後間違い無く発生し続ける膨大な河川工事を継続的に賄う事は不可能です。上流中流の土砂流下の規則性を無視した過去の河川工事が河川の流域全体に多くの不具合を発生させています。それらは、工事を行えば行うほど新たな工事の必要性を生じさせるモグラ叩きゲームでしかなかったのです。今迄の考え方を改めない限り不具合と災害は今後増大し続けるでしょう。石や岩が多い上流中流にコンクリート護岸を設置するのが全くの間違いである理由については、このサイトにある他の記述をご参照下さい。
2010年以降に設置された写真16のコンクリート護岸は何を意図したのでしょうか。このコンクリート護岸によってその場の水流が加速され、それより下流側の石や岩が道路下の岸壁の基部に止まる事無く流下して行ったのでは無いでしょうか。岸辺や川底の石や岩が水流の流速を減少させる事は良く知られています。逆に、岸壁やコンクリート護岸が流速を早め、岸辺の石や岩を流下させる事も知られつつあると思います。
 今後数十年の後、この護岸は風化して脆くなります。つまり護岸として機能しなくなります。規模の大きな増水になれば、コンクリートの全体が強い水流にさらされ浸食され水流の侵入を招くかもしれません。しかし、その時でも上流側に形成されている大小の石や岩による斜面の場所が浸食される可能性は少ないでしょう。自然石の強度はコンクリートと比べようが無い程に強いのです。それら多くの石や岩が水流を弱め自然堤防全体の強度を保って来たから、長年に亘ってほぼ同じ光景が継続していたのです。
 水底に近い部分では石や岩が流れて行っても上流側から流下して来る石や岩がその場にとどまります。堤防の上部であれば、下部の石や岩によって水流が弱められますから、小さな石や岩でも護岸の役目を果たす可能性が大きいのです。つまり、この場所にある表面が石や岩ばかりの自然堤防は、その構造を継続的に更新し続けて来たと考えられます。さらに上部に木々や草々があれば土砂が浸食される可能性がより少ないと考えられます。
 仮に、何年か後にこの護岸を再度コンクリートで建設すれば、同じ場所の斜面の維持保護が出来たとしても、現在と同じく石や岩を流下させ続けます。その時には現在見える下流側の大量の石や岩も消失している事もあるでしょうから、より広範囲にコンクリート護岸を建設する必要が生じるでしょう。

ここに記述して来た間違えた工事方法を継続させない方法があります。それが、私が提案している自然の石や岩を岸辺にとどめる方法です。その方法は、コンクリート護岸を連続して建設するよりもずっと安価で済みます。その方法によって、この場所にも年月を経ても容易に破壊されない自然の岸辺が継続的に実現されると考えます。言い換えると、写真6、7、11の土砂堆積を取り戻す事は可能であると考えています。
日本各地には江戸時代やそれ以前からの優れた治水施設があり、上流中流に限っても幾つも伝わっています。富士川の雁金堤や信玄の名を持つ幾つかの工事もそれらの内の一つです。ひるがえって、ここ五十年ほどの内に数多く建設され続けてきた上流中流の治水施設の中に、それらに匹敵する程の施設が一つでもあるでしょうか。それらのように後の世まで伝えられる施設や工事が一つでもあるでしょうか。全くの疑問です。それらのほとんどは、短い年月のうちに頻繁に造り直しまた追加工事の必要が生じています。さらに、それらによって上流中流で広範に生じている弊害もあります。それら近年の工事や施設の全ては、根本的に考え直す必要があります。
なお、この場所で石や岩などの不都合な土砂の流失が生じているのは、全てが本来の自然現象であるとは言えません。この場所の上流にも、比較的近年に大きなダムが設置されました。そのダムでは貯水した大量の水を放流する際に自然の河川ではあり得ない程急激に放水量を増加させており、また、放水量を減少させる時でも自然ではあり得ない程に急激な水量の減少を生じさせていると考えられます。
 自然の河川では降雨や豪雨による流下水量の変化があっても、それらの変化はダムの放流時や減水時に比べてずっと穏やかのものです。ダムからの放流は、上流中流にある全ての土砂に自然ではあり得ない状態での土砂流下と土砂堆積をもたらしています。ですから、日本中のダムの下流側では、水底と河川敷の土砂の不必要な流下と、より下流側の特定の区域に不必要な土砂の堆積が生じています。

ポイント6.足久保川(アシクボガワ)の支流に注ぐ細流の写真です。

 1

*2018年5月 細流の両岸は草に覆われています。

 2

*2018年5月 細流の川底にはこぶし大の石も見えます。
 3

*2018年5月 細流の川底にはこぶし大の石も見えます。
 4

*2018年5月 草に覆われた細流の距離は20m程でしょうか。
 5

*2018年5月 両岸を草に覆われた細流は上流側で橋の下を流れます。
 6

*2018年5月 橋より上流側の流れは三面コンクリートに囲まれています。
 7

*2021年11月 足久保川の支流。細流はこの流れの支流です。
 8

*2021年11月 支流と左岸側細流の合流地点。いずれも水が枯れています。
 9

*2021年11月 支流と細流の合流地点の少し上流側。流れに水は無く、両岸の草草はより深く茂っています。
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*2021年11月 細流の両岸の草草が深く茂っているので川底が見える箇所は僅かです。
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*2021年11月 細流の両岸の草草が深く茂っているので川底が見える箇所は僅かです。
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*2021年11月 土が浅く堆積した上流側には一面に草が生い茂っています。

この写真は、農業用水として利用されている小さな細流の状況です。周囲にあるほとんどの水流がコンクリート護岸に覆われ、また、川底までコンクリートで覆われている中で、何故かこの場所にだけ昔の水流の様相が残されています。川底に小さな石が多く堆積している状況を確かめてください。岸辺にも様々な草草が生い茂っています。でも、この状況も、ごく短い距離に限られているに過ぎません。
郊外や山里であれば、以前は何処にでも普通にあったこのような自然な流れが失われています。そのことが、水の流れだけでなく周囲の自然環境を悪化させ、同時に下流側の治水状況を困難にしています。2021年秋の写真では水が全く失われていますので、流れの底の幅が40cm程である事や、それらの石や岩は大きなもので握りこぶし程度である事が分かります。
かつて、子供たちが遊んだ水辺の光景は何処にもありません。小魚もエビやカニもシジミも姿を消しました。カゲロウやホタルやトンボやゲンゴロウを見る事もありません。コンクリート護岸やU字溝が出来てからは多くの多くの昆虫も姿を消しました。ですから、カエルやヘビでさえも生息できなくなりました。セキレイやその他の小鳥、また、シラサギやシギもそれらの水流には近付きません。昆虫や小動物を餌にしていたイタチやタヌキやキツネも生息できなくなりました。「春の小川」と歌われた自然の光景は、日本中探しても容易に見つからないでしょう。何処には残っているはずだと思うのですが、どうでしょう。
草に覆われ分かり難いのですが、この場所の両岸には蛇篭が設置されています。でも、川底には設置されていない様子です。この場所の蛇篭の中の石の大きさと水流の強さとがたまたま釣り合ったと考えられます。提案している新しい工事方法では、設置する自然の石や岩の大きさが重要です。ですから、それぞれの場所ごとに、石や岩の大きさを変える複数の方法が考えられます。

ポイント7.瀬戸川(セトガワ)、寺島河川敷公園の様相。
2022年8月23日と9月3日の撮影、少し増水の様子です。写真はクリックすると別画面で拡大します。
9月24日の記録的な降雨により付近の様相はすっかり変わりました。増水以前の写真の掲載を続けますが、新たな写真と説明は改めて掲載します。9月27日記す
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*寺島河川敷公園の全景、写真は公園南側の橋の上から撮影したもので、中央の上流側にある石と岩の河川敷が特徴です。
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*寺島河川敷公園、堤防上段の全景。草が刈られたばかりの広場の様子。駐車所とトイレもあり整備されています。
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*公園右岸の護岸は、緩やかな傾斜の石垣です。


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*井字型水制とその脇の石垣の様子。(水制・スイセイは、強い水流の制御を目的に岸辺に設置する構造物です)
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*二箇所ある井字型水制の下流側水制より南側では、浅い水流が堤防のすぐ前を流れています。
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*上流側の井字型水制の上流側の河川敷を下流側から見る。水制の周囲に石や岩の堆積はありません。
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*井字型水制の上流側に広がる石や岩の河川敷。長さ約125m、幅約25mの広さがあります。
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*多数の石や岩の中で大きめな石の大きさ。長辺の長さが25~30cm程度の大きさの石は数多くあります。
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*石や岩が多くある河川敷で特に大きめな岩の一つ。65×45×40cmの大きさ。周囲には写真8位の石が多くあります。
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*70×60×40の大きさで、この位の大きさの岩は、周囲でも15個内外で、それより大きな岩はありません。
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*石や岩が数多くある河原の護岸近くにある短冊形水制。上流側と下流側に2ヵ所設置されています。
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*短冊形水制の一つの幅は55cm、長さは175cm。

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*短冊形の水制ごとの設置間隔は140cmで、その間には数多くの石と岩が堆積しています。
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*公園北側の堤防前の河川敷にも多くの石や岩がありますが、浅い水に覆われた箇所が広がっています。
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*公園北側の堤防では、傾斜面に沿って約140cmごとに写真11と同様のブロックが設置されています。
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*石や岩にすっかり覆われた公園前とその北側とでは、河川敷の様子が大きく異なっています。
瀬戸川は、静岡県中部の大井川の東隣にある河川で、藤枝市の高根山(873m)や周囲の山々を源として流れ、海の近くで大きな支流の朝比奈川と合流して焼津市で駿河湾に注いでいる延長30Kmの河川です。その流域は穏やかな山地に囲まれて谷間も広く豊かな自然に恵まれています。
 写真の寺島河川敷公園は、瀬戸川が山地から平野に流れ出すやや上流の開けた谷間にあり、自然の清流が市民の憩いの場所になっています。また、この場所は、子ども達が四季を通じて安全に遊べる河川体験の拠点として、平成30年、「静岡県島田土木事務所」が「瀬戸川子どもの水辺」に登録しています。

ポイント8.富士川支流 有無瀬川(ウムセガワ)。コンクリート護岸前から大きな岩が流下しました。
2023年5月から2024年12月までの撮影。写真をクリックすると別画面で拡大します。
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*2023年5月 峠越え道路の擁壁と護岸が改修されました。重機が降りた斜面が残っていましたから、多分、前年秋から春までの間の工事と思われます。
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*2023年6月 下部の護岸前には一抱以上ある大きな岩が7つ程設置されています。水量から見て、杭を用いなくても流下する事は無いと考えていました。
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*2023年12月 半年で壁面は草木に覆われ、道からの眺めは失われました。



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*2023年12月 護岸前の大岩は全て流下し、護岸基部のコンクリートまで露わになりました。護岸前の川床は、50cm程低下しました。
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*2023年12月 幾つかの大岩が流下した護岸の少し上流側。

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*2023年12月 流下した大岩のほとんどは、2の写真の上側の岸辺に集中して堆積しました。
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*2023年12月 流れの中央にあった苔生した二つの巨石も一緒に堆積しています。
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*2024年6月 草木がさらに成長し、流れの底の砂や小石の多くも流下しました。

水量が多く無い細流ですから。護岸の前に設置された大岩が増水によって流下する事は想像していませんでした。2023年6月から12月までの間にあった降雨によって流されたのですが、川沿いに峠を越える道路を走った限りでは、周囲や上流の何処にも土砂崩れ等の跡を見つける事は出来ませんでした。また、現場やその周囲に堆積した土砂等の様子から見て、土石流が発生した様子もありませんでした。ですから、大岩が流れた現象は、二~三年に一度くらい発生する少し規模が大きな増水によるものと、考えられます。
あと何年かすると護岸の基部はさらに洗掘されて、さらに何年かすれば護岸だけでなく擁壁もその維持が危うくなる状況が生じると考えられます。その時もまた同じ工事を施して、際限の無い土砂流下と出費を続けるのでしょうか。僅かな数の杭を設置していれば、それらの大岩も流下することなく新たな岸辺を形成していたことが考えられます。全く残念な事です。

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河川上流中流と海岸を回復させるための新たな工事方法

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