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「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」


―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―

               第7章の写真と説明
2024/05/25  一部訂正.
第7章 第1節  「安倍川」から「三保半島」へと続く砂礫浜海岸

           図01

         2012年
      安倍川河口東海岸

安倍川河口周辺で普通に見る大きな石。投げ竿やリールの大きさと比較して下さい




 第2節 「砂浜」「砂礫浜」が形成される第二の過程」

図02 2012年 6月6日 安倍川河口東海岸 図03 2012年 7月31日 安倍川河口東海岸
                  図04 
         2012年 8月29日 
           安倍川河口東海岸

図02、03、04は、いずれも同じ場所からひと月ごとに撮影しました。遠方に見える山の位置と姿にも注目下さい。
図02の中央は河口を横断延長する砂州の東端とその内側から流下する安倍川の流れです
図03では、漂流した大量のゴミが打ち上げられています。
海底からの土砂が打ち上げられるこの場所では、安倍川に増水がある度に渚線を移動させています。

            図05
2012年 7月31日 18:02:02
   安倍川河口東海岸

*河口に打ち寄せる大きな波。河口の正面を延びる砂州は、増水により破壊されて、まだ形成されていません。
*右側は安倍川の流れで、向こうに微かに西岸が見えます。

           図06
2012年 7月31日 18:09:17
   安倍川河口東海岸

河口東岸の巨大風車の前の様子。
大きな波が幾重にも生じて岸辺に押し寄せています。
中央やや左に、サーファーが小さく見えます。


           図07
2012年 7月31日 18:09:22
   安倍川河口東海岸

巨大風車の前よりも東側の岸辺。図06直後に、左側を向いて撮影しました。
こちら側では、幾重にも波が立つことなく、普通の波が一度だけ生じて崩れています。


             図08

   2012年7月31日の天気図




第2節 「砂浜」「砂礫浜」が形成される第三の過程
以下、図09、図10、二つの動画は、下にある図14、15、とほぼ同じ場所から海に向かっての撮影で、波によって移動する土砂の様子が明らかです。
図09の波は大きくはありませんが、図10では人の背丈程の高さがあります。

           図09

2012年7月16日 19:07:03
   安倍川河口東海岸

図09 の動画は、https://youtu.be/6a7EB-p5M1U
に掲載しています


           図10

2012年7月17日 18:48:01
   安倍川河口東海岸

図10 の動画は、https://youtu.be/QNbD4PeE-Ek
に掲載しています




図11 2012年 7月15日   図12 2012年 7月16日  図13 2012年 7月17日
当時の天気図を掲載しましたが、より南方の低気圧が関係している可能性を考えています

            図14
2012年 7月15日 19:03:55
   安倍川河口東海岸
この場所は、河口東側海岸に設置されたコンクリートブロック群の内で最も西端に位置しています
丁度、図02〜04の写真の反対方向からの撮影です。
この日は陸地側から、コンクリートブロックと渚を撮影しました


            図15
2012年 7月16日 19:08:33
   安倍川河口東海岸
この撮影も上図14と同じ場所ですが、この日は海側からの撮影です
コンクリートブロックの前の砂浜は海に向かって急速に10m以上前進しました。たった、一日での出来事です



 第3節「砂浜」「砂礫浜」が浸食される理由

    図16 R3 3/16 静岡河川事務所
       第7回安倍川総合土砂管理計画フォローアップ作業部会 資料1 P54
この図の注目点。1)海底6mより深い場所では海底に堆積した土砂面の移動がほとんど生じていません。2)海底6mより0mまでの間で土砂の移動が生じていて、砂州の大きさと海底の土砂の減少との間で相関関係があると考えられる年が幾つかあります。
海底6mより浅い場所に堆積した土砂のみが陸地に戻される可能性を持っているのですが、高さ6mの波は何時でも発生している訳ではなく、通常はもっと浅い場所の土砂だけが陸地に戻されます。
河口から排出されて海底6mより深い場所に堆積した土砂は、その場に止まることなくより深い海底に落下していくので、その結果が土砂堆積量として現れていると考えています。
R1年の海底土砂堆積の様相が他の年と大きく異なるのは、この時、鳥趾状の砂州が沖に向かって形成されていて、なおかつ測量の場所がその中心とは異なっていたことによると考えられ、それ以外の年の砂州は河口を横断する形状で形成されていたのです。
河口で形成される砂州は、その時々でその長さ、高さ、幅が異なります。安倍川の増水はそれぞれの気象条件により発生し、土砂を海岸に引き戻す波の状況も時々の気象条件により異なりますから、海底の土砂量と砂州の土砂量がその都度異なっていても、何ら不思議はありません。

 「安倍川」と静岡の前浜の現状

図17 2011年 久能山東照宮前の海岸    図18 2018年 久能山東照宮前の海岸
この場所は、三保半島まで続く長い砂礫浜のほぼ中間地点です
図17では堤防の前面に多くのコンクリートブロックが設置されていますが、海岸の回復が進むことはありませんでした。
図18では沖側のコンクリートブロックの前面の水際まで大量の土砂が養浜されたので、砂礫浜は回復傾向を見せています。


図19 2011年 三保羽衣の松の前の渚    図20 2011年 三保真崎灯台付近
打ち寄せる波による土砂の移動は、静岡清水の前浜全域で発生しています。
図20では、小さな波が海岸線に斜めに打ち寄せています。
遠方に見えるのは伊豆半島です。





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